3月改正にむけて [北陸]
今月のダイヤ改正といえば、撮り鉄的には
・九州で485系一斉置き換え
・富山のキハ58
・雷鳥の完全置き換え(8号、33号)
・北近畿特急用183系の置き換え開始
が大きいでしょうか。
地味ですが紀勢西線系統も整理が入り、阪和色113系や103系の淘汰、381系国鉄色によるライナーの特急化と国鉄色381の北近畿転用、紀勢線特急の減便や一部減車(ex;オーシャンアローを白浜で増解結)が行われます。
あけぼの、日本海、きたぐにと日本海縦貫関係の夜行列車が一斉淘汰という噂もありましたが、とりあえず今月で廃止ということはないようです。
また、ダイヤ改正ではありませんが、石北貨物が来シーズンからさらに1往復減便のようですね。
この3月に去るもの達はどれも多かれ少なかれ私たちに思い出を残してくれた車輛たちです。しっかりと、お別れをしなくてはいけません。今までありがとうございました、と感謝しなくてはなりません。
個人的に今回一番大きいのは、雷鳥の完全置き換えと富山のキハ58の引退です。どちらも完全にこの地上から消滅してしまうのです。私は、一つの時代の終わりを感じます。
今日は富山のキハ58のことを書きます。
*********************************
かつての急行用気動車として、全国で活躍したキハ58。最後の活躍の地は意外にも富山でした。
富山県による高山線増発社会実験の車輛不足を補うため、予備で残されていたキハ58が4両集められ、走り続けてきました。高山線からはもともと10年以上前に撤退してキハ120化されていたのですが、異例ながら復活することになったわけです。
そのうちの2両が、2008年の夏に急行色に塗り戻されました。
ただ、塗り戻されたのが定期運用で猪谷まで入らなくなった後。走っているのは富山平野を淡々と行く富山~越中八尾間で、当初は大してアングルないだろうなあと抵抗感がありました。(もっとも、素朴な田園風景が広がり、北アルプスが時に風景を引き締めるので、意外とアングルが多様であることに後になって気が付きました)。
一番困ったのは平日限定で、運用はJRによる公式発表がなく予測するしかないこと。富山自体は決して遠いところではありませんが、撮影に行くのは非常に勇気がいり、結局国鉄色の走りは2回しか撮れていません。
そのうちの1回は、おわら臨で猪谷まで2往復入線した時。その時のものを紹介します。例によって今回も「鉄路慕情記」にUPしていたものですので、原文に一言を添える形でいきます。UPした日は2008年9月7日です。開設と同時にUPしました。
(原文)
この時期、四国ではキハ58が最後の活躍をしておりました。特に予讃線松山以西では1往復の定期運用のほか、他の車輛の検査代走で時々走っていました。
この時、四国で野暮用があったのでついでに定期を狙いました。結果、惨敗だったわけです。
塗り替え直後でピカピカの国鉄色、本当にまぶしかったです。しかし、この時から屋根はサビサビでした・・・。
この時から結果として2年半走り続けましたが、富山のゴハチは満身創痍で故障も多かったとか。お守り役も毎日ギリギリで何とか送り出している…という話を聞いたことがあります。本当に、お守り役の方もキハ58もお疲れさまでした。
・九州で485系一斉置き換え
・富山のキハ58
・雷鳥の完全置き換え(8号、33号)
・北近畿特急用183系の置き換え開始
が大きいでしょうか。
地味ですが紀勢西線系統も整理が入り、阪和色113系や103系の淘汰、381系国鉄色によるライナーの特急化と国鉄色381の北近畿転用、紀勢線特急の減便や一部減車(ex;オーシャンアローを白浜で増解結)が行われます。
あけぼの、日本海、きたぐにと日本海縦貫関係の夜行列車が一斉淘汰という噂もありましたが、とりあえず今月で廃止ということはないようです。
また、ダイヤ改正ではありませんが、石北貨物が来シーズンからさらに1往復減便のようですね。
この3月に去るもの達はどれも多かれ少なかれ私たちに思い出を残してくれた車輛たちです。しっかりと、お別れをしなくてはいけません。今までありがとうございました、と感謝しなくてはなりません。
個人的に今回一番大きいのは、雷鳥の完全置き換えと富山のキハ58の引退です。どちらも完全にこの地上から消滅してしまうのです。私は、一つの時代の終わりを感じます。
今日は富山のキハ58のことを書きます。
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かつての急行用気動車として、全国で活躍したキハ58。最後の活躍の地は意外にも富山でした。
富山県による高山線増発社会実験の車輛不足を補うため、予備で残されていたキハ58が4両集められ、走り続けてきました。高山線からはもともと10年以上前に撤退してキハ120化されていたのですが、異例ながら復活することになったわけです。
そのうちの2両が、2008年の夏に急行色に塗り戻されました。
ただ、塗り戻されたのが定期運用で猪谷まで入らなくなった後。走っているのは富山平野を淡々と行く富山~越中八尾間で、当初は大してアングルないだろうなあと抵抗感がありました。(もっとも、素朴な田園風景が広がり、北アルプスが時に風景を引き締めるので、意外とアングルが多様であることに後になって気が付きました)。
一番困ったのは平日限定で、運用はJRによる公式発表がなく予測するしかないこと。富山自体は決して遠いところではありませんが、撮影に行くのは非常に勇気がいり、結局国鉄色の走りは2回しか撮れていません。
そのうちの1回は、おわら臨で猪谷まで2往復入線した時。その時のものを紹介します。例によって今回も「鉄路慕情記」にUPしていたものですので、原文に一言を添える形でいきます。UPした日は2008年9月7日です。開設と同時にUPしました。
2008年9月1日 高山本線 楡原-笹津
(原文)
この直前に予讃線の千丈S字で定期のゴハチロクゴを待っていましたが、ただでさえドン曇りの上に直前にバルサン攻撃を受けあえなく大轟沈。代走もなかったのでとぼとぼと今治での野暮用に合流。
しかしここで負けるわけにはいきません。帰りがけに翌日は富山劇晴れという話をともさん(鉄路慕情記の管理人)から聞いてしまったので、大阪に帰ってすぐに急行きたぐにの客となりました。狙うは最近国鉄色になった富山のゴハチ。おわら臨で運が良ければ国鉄色ゴハチが猪谷まで入るはず。そうでなくても平地で黄金に輝く稲穂とともにかなりの本数が撮影できるはず!
結局、猪谷に入るほうに国鉄色が入ったので、眠い目をこすってこの俯瞰地へ登りました。予報に反して流れ雲が多くひやひやしましたが、写真が上がってくると湖面に映った空の表情を思いのほか良い感じで感激しました。
この時期、四国ではキハ58が最後の活躍をしておりました。特に予讃線松山以西では1往復の定期運用のほか、他の車輛の検査代走で時々走っていました。
この時、四国で野暮用があったのでついでに定期を狙いました。結果、惨敗だったわけです。
塗り替え直後でピカピカの国鉄色、本当にまぶしかったです。しかし、この時から屋根はサビサビでした・・・。
この時から結果として2年半走り続けましたが、富山のゴハチは満身創痍で故障も多かったとか。お守り役も毎日ギリギリで何とか送り出している…という話を聞いたことがあります。本当に、お守り役の方もキハ58もお疲れさまでした。
2011-03-04 08:51
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