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キロク・・・ [紀勢]

 まだなくならんやろ、と思っていたものがなくなった経験ってないでしょうか。今回のダイヤ改正で無くなったもののうち、私の中でそれに当てはまりそうなのが新宮行きくろしお。話自体は年明けに聞きました。少しずつ減便が続いていたとはいうものの、驚きでした。
 この3月の改正でくろしおは新宮まで入線しなくなり、白浜までの運転となりました。



 これだけだと???な人も多いでしょう。



 つまり、新宮まで入る381は今後スーパーくろしおだけになるので、新宮側が電気釜スタイルの381は定期では見れなくなったわけです。また、当然ですが紀伊田辺以南で「くろしお」のHMを見ることができなくなりました。
 今から思うと、もう少し早くから各所で押さえておくべきだった…と後悔しきりです。

 ということで、見老津の正面俯瞰にて、381くろしおです。




2007年3月18日 紀勢本線 双子山(信)‐見老津




 撮り鉄の世界では先人からの言い伝えめいた言葉として「来た列車はとりあえず撮っておけ」という言葉があります。

 これを曲解したのかしていないのか、一応撮っておけばいいや、とか、とりあえずパチ撮りして何か写っていればいい、とかいう発想で撮る方もいらっしゃるようですが、私はそのような発想にいまひとつ面白みを感じないので好きではありません。せっかく撮るなら、何か自分なりのこだわりが必要だと私は思います。私は、この言葉は「○○をとりあえず自分なりに気合いを入れて撮っておけば、10年なり20年なり経ってよかったと思うことがある」という意味だろうと考えています。

 また関連して、○○の引退時に「もう少し撮っておきたかった」と後腐れしないように「興味の少しでもある被写体があるなら先手必勝、撮れるうちから撮っておけ」という言い方がされることもあります。



 まあ、「くろしお」に関しては今のところ撮れなくなったアングルとして頭に浮かぶものがそこまで多くないことがまだ救いかもですが、これが後々どう響いてくるかわかりません・・・。



 かつてはこうやって去っていった被写体がキハ58だったり、DD51だったり、EF58だったり、蒸機だったり、したんでしょうね。「来た列車は・・・」という言葉は、鉄の世界は所詮こういうことの繰り返しとみてもいいかもしれない、という先人からの忠告と言っていいものなのでしょう。

 もっとも、愛すべき被写体のために撮り鉄として殉死する人がいるという話は結構聞きますから、そういう人には当てはまらない言葉ですね(しばらくして蘇った場合、後腐れの仕方は半端ではないみたいですが)。


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