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気が付いたら [○北陸本線]

 お盆休み、関西周辺で何か撮ってやる!と思ってたのですが、相変わらずの寝太郎生活。そして夜は飲み会。

 課題はたくさんあるのですが、いざ帰ってしまうと緊張が弛緩しきってしまうらしく。普段は少食ですが、帰ったらよく食べるし。

 

 そんなこんなで帰省期間が終わってしまい、東へ。

 さすがに何もせずは、と思い、少し進路を北へ。倶利伽羅や親不知で北越やら475やらを撮って、夕方は少し大糸線で撮って、また長野に戻ってきました。



 富山でも呉西はかなりひさびさの訪問でした。高岡にキハ53がかろうじて生き残っていた2005年以来なので、8年ぶりですか。夜行三連発が予想より早く解消し、集中的に撮るタイミングを逸してしまったのが大きいところです。

 そうとは言っても、昔から撮っている地域は、何かいいですね。もう少し撮りに行きたいところです。

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 そういう感じなので、急行「能登」でも。

 ポールの処理が今一つ難しいこの場所(下段側)、ベストではないですが、ここでのカットはこの1枚だけになってしまいました。



2004.8.8北陸本線 石動‐倶利伽羅


 りりしく国鉄特急色をまとった489系が走るようになったのがこの数年前。それまでは白山色だったので今一つ魅力を感じる列車ではありませんでした。夜行3本、というと今でこそすごいように感じますが、本数だけで考えると、当時は山崎だって「きたぐに」「日本海2号」「銀河」「ちくま」「日本海4号」でした。逆側からも「彗星・あかつき」に「なは」です。しかも、富山界隈の線路は東から西へ、つまり基本的に逆光。撮りにくいことこの上ない。

 そういう状況でしたが、北陸特急から姿を消したボンネット(しかも原形)の国鉄色登場となると、それだけで撮りに行く価値あり、その上に寝台が2本、なら注目度急上昇という風になりました。

 今では考えられないですが、日本海2号や北陸はついで撮りというイメージだったと思います。

 私も当時としては積極的に撮りに行っていました。激山ご来迎の常願寺川堤防に鉄が大集結、なんて日もありました。

 

 そんなことを思い出しながら、木陰でカメラを構えて「北越」や急行色475系を撮っておりました。

 あれから10年近いのにまだ何とか生き残っている彼らを見ていると、本当に不思議な気持ちがしました。そもそも、たった4年前の今頃も、このようなシーンを見れたのですよね。



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