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錦江湾の夜明け [九州]

 今日は一転して南九州でも。

 気が付いたらずいぶん長い間撮影続けていますが、九州でも南の方にはなかなか行くことができないまま東に来てしまいました。

 急行「くまがわ」やら「彗星」、「なは」あたりは行こうと思えば狙えた世代なのですが、そこまで及びませんでした。当時は指宿や肥薩、吉都にもローカルの58が残っていましたし、475も大量に残っていた頃でしたから、今から考えるとかなり惜しいことをしたなあと。当時の南九州は「国鉄王国」そのものでした。しかし、割合自由に遠征できるようになったころには上記の被写体はすべて引退した後でした。

 特に小さいころから「彗星」のHMがとても好きだったので・・・単独時代のPF牽引の姿が特に好きでしたが、先述した理由からナナロクの牽く姿にも興味がありました。

 なんであの夏休みに行かなかったのだ、といまだに自問自答。

 もっとも・・・実のところは、南九州の撮影地情報があまりにも手に入らなかったのが二の足を踏んだ理由なのです。ブルトレはいざ知らず、キハや475となると車両の運用情報もなかなか手に入りませんでした。わかっていることは、「とりあえず走っているらしい」ことぐらい。

 今でこそ、そこそこ写真が出てきますが、当時は十分な量が集まりませんでした。

 徒歩で歩き回るにはあまりにも思いっきりが要りすぎる・・・。行き当たりばったり、自らの足で運用状況や撮影地を調べ上げるなんて考えすらしませんでした。

 この時の経験があるから今だったら間違いなくそうしますけど・・・。

 列車で移動するにも宗太郎はじめ不便なところがありました。

 四国も似たような感じでしたが、手元にあった撮影地ガイドが秀逸だったおかげでなんとか撮ることができました。比較的近かったうえ、運用情報もコチ車、マツ車ともに詳細なものが手に入ったのです。最後の1往復だけ残っていた朝の窪川行きを安和のコンクリアーチで撮ったりしました。

 当時は日本全国どこ行っても「何か撮るものはある」状態。少しでも撮れただけマシかもしれないけれど、憧れのまま終わったもの、他にも多いですね・・・。

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 「なは」が去って6年弱、キハ58や475系が去って5年近くたった3月、深夜の宗太郎峠を越えて、シラス台地の丘や谷をすり抜け、鹿児島にやってきました。訪れる機会はあるのだろうか、とすら思っていた、異郷の国に・・・。




2010.3.9 日豊本線 竜ヶ水-重富


(原文)

 夜明け前、鹿児島の宿を出て、国道を北上する。国道付近の撮影地から構える頃には空が赤く染まり始めた。今日も好天のようだ。三脚を担いで立ち位置を選んでいると、だんだんと桜島の堂々とした山容が目の前にはっきりと現れてきた。噴煙は今日は上がらず穏やかだが、こういう雰囲気も悪くないか。交通量の多い国道沿いで、トラックに被られないかひやひやしながら待つことしばし、宮崎からきた赤5連の「きりしま」は何とか押さえることができた。


(一言)

 初めて見る桜島の威容には感服させられましたね。暗闇から徐々に現れてくるさま、古い映画を見ているかのような渋味のある世界でした。

 この時やってきたのは817系ばかりでしたが、717系の3編成併結6連とかいうものも残っていました。717系は「2013年までに全車運用離脱」したそうですね。アンバランスな側面がなかなか魅力的だったのですが。

 さて、この撮影地。国道脇にPがあって、そこから海岸に降りて撮る、という場所でした。

 おそらく日豊線の撮り鉄史上最強と思われるRMの撮影地ガイドが前年の夏、当時北九州に赴任中だった眼目氏の手により出されましたが、この写真には度肝を抜かれました。

 撮影地としては相当わかりやすい場所でしたが、今まで見たことのない写真でした。それほど南九州が撮り鉄にとって「フロンティア」に近い状態だったともいえるかもしれません。

 鹿児島にやってきて、迷わずここで撮りました。

 欲を言えば、噴煙のあがっているとき・・・だとか、もっと空が赤く染まっているとき・・・だとか、いろんな条件で撮ってみたいものでしたが、この静かな雰囲気も、これはこれで好きですかね。



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