SSブログ

撮影先でのお楽しみ [ケータイ投稿]

昨日に引き続きまして携帯から投稿です。

撮り鉄の撮影先は大抵地方です。その土地ならではのものを、有形、無形に楽しめます。
例えば温泉に入ったり、食事を楽しんだり、地元の方とお話してみたり、何気ない風景からその土地の雰囲気を感じ取ったり…
もっとも、私は日中走り回ってるので、食事とか温泉とかは大抵夜のお楽しみです。でも昼飯でここは欠かせない、という場所も決して多くはないですがあります。

今日はわが地元の湖西線、鵜川の名物食堂から。私は、昼飯はできるだけここにします。
白髭神社の近くにあるその名も「白髭食堂」です。昼間となれば地元の方を中心に繁盛します。
湖西線で鉄してる方なら知ってる方いらっしゃると思います。

私はいつも豚汁ラーメンにおでんというパターンです。なのでこれがオススメです。
雷鳥がもうすぐ引退、さらに日本海のトワガマ率が上がってしまい、メインだけ考えると行くのが非常にリスキーになってしまいましたが、朝方は81や510の貨物やら117(これの原色が当たり前なのは湖西線だけでしょう)やらがまとまってくるので、撮影という意味でもまだまだ行く価値ありです。
また行くぞ~。
101013_1251381.JPG

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

更新タラコ増殖中[JR西全般] [ケータイ投稿]

ただいま出先です。数日はケータイからお話を書きたいと思います。
このブログ、できるだけ毎日書きたいと思ってます。昨日はバタバタしてて推敲しきれずだせませんでしたが、頑張りますのでよろしくおねがいします。


さて…さっきからケータイ画像のストック見てたら…こんなのがありました。去年の8月27日の山口駅にて。

他の支社ではまだ数両程度のようですが、あちらではかなりの増殖っぷりのようです。去年の夏時点ですでに10両くらい確認しました。今はもっといるはずです。

私は黄色キハ好きだったのでここに関してだけはかなり複雑です…。去年の夏は北長門で合宿しましたが、黄色はあの辺りの風景に映えるいい色です。

さらに、広島支社だけはなぜかタラコの色が若干濃くて少し不自然、という難点が(汗)


でも氷見線や城端線、播但線、但馬海岸ではタラコが久々に復活、と思うとこれから楽しみですね。更新タラコですが、あの色は目立ちますし豆粒でもひき立つのではと期待しています。
100827_100203.JPG

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

玉ノ浦をゆく客レ [紀勢]

 先ほど南紀より帰ってきました。やっぱ野暮用って疲れます(汗)。一人旅最高です(滝汗)。

 5日の成果は後ほど「鉄路慕情記」でUpしたいと考えています。完成しましたら報告しますので、どうぞよろしくお願いいたします。



 せっかくなので南紀ネタで記事書こう・・・と下書きしてたやつをUpします。間違えて先日、一瞬UPしてしまった記事なんですが、少し書き直したので気にせずUPします。すでに見ておられる方がいらっしゃるかもしれませんが、Blog初心者ゆえの大失態、ご勘弁を(汗)。

 5日は古座~紀伊田原、紀伊浦神~下里で固め打ちでした。どちらも以前行ったことがありますが、今日は以前紀伊浦神~下里の玉ノ浦に行った時の写真を出します。



 紀勢本線は新宮を境にJR東海とJR西日本に分かれているため、紀勢東線と紀勢西線に分けて語られることが多いですね。玉ノ浦は紀勢西線の方にあります。古くはEF58+12系の時代の写真を目にしますから昔からの名撮影地のようです。
玉ノ浦は何と言っても海の色が素晴らしいです。名前の由来はヒスイのような色からでしょうね。まさに、浅い部分はそんな色です。


 そんな海がひときわきれいに見れるのは冬場だと思います。晴れる日が多いこともさることながら、海水温が低くて水中のプランクトンの活動が抑えられるので海の透明度がとても高くなることも大きいです。常緑の木々が多いこともポイント。「冬こそ紀勢線」かもしれません。




2009年2月8日 紀勢本線 紀伊浦神-下里 DD511043[宮]+あすか


 かつては西線、東線ともDD牽引の団臨が多数運転されていました。直通運転も結構あり2004年のDJをひも解くと紀勢西線区間を夜行で走って紀伊長島あたりを目指す、という今では考えにくい団臨が走っていたりします(新宮夜行がなくなった後だったですし、高校生の分際では撮りに行くことすら不可能でしたが)。

 そんな「紀勢団臨」でしたが、2009年ごろが事実上最後の活躍の時期だったようです。最近DJ誌の記載があったような気がしますが、1本だけ。それ以外に走ったという話すら聞きません。

 この日の列車はたしかDJ誌には掲載されていなかったと思いますが、たまたま運転の情報をキャッチできたため、撮りに行きました。いつもは定期列車狙いが中心の私ですが、風光明媚な撮影地が点在する紀勢西線なら話は別です。

 で、朝早くから玉ノ浦の俯瞰地に行ったのですが…団臨ですからこういう場合かならずベスト位置には置き三脚があるんですね。しかも、前の反省を踏まえて早く行ったのに、ありました。私は団臨をほとんど撮らないタチでそのあたりの因習に詳しくないので、本当にびっくりしました。

 それでも何とかして隅に入れてもらって、海の撮り込める範囲はやや狭いもののアングルを固めました。この日は快晴で気分が良かったです。岩の上でうたたねしてしまいそうなくらいぽかぽかとしていました。
  定時、特急やローカルよりもさらにゆったりとしたスピードで、DDにエスコートされた「あすか」がやってきました。

南紀は本日バリ晴れ〓 [ケータイ投稿]

ケータイからです。

野暮用ついでに?本日は南紀で撮影。車で約4時間。朝2時半に出発。大糸線に行くような気分です。
ただ、半分下道なので気分的にはもっとキツいかも…。

この場所は家族旅行ついでに来て以来9年ぶり。やはり木が伸びてるような気はしますが基本的に何も変わってませんでした。

被写体は…105系の色が目まぐるしく変わってますね。3回目の塗装変更が進行中です。1本だけ見掛けました。

朝とても寒かったですが昼間はポカポカ。ただ、風が吹くと寒かったです。ヌケは一日中よかったです。また、雲のことをほとんど気にせずに撮影できました。

写真…列車は写ってません。ケータイで撮影。
110305_075555.JPG

追伸


タグ:出撃報告
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

雷鳥引退に寄せて [○北陸本線]

 北陸特急として最大の本数を誇ったのが485系雷鳥。私は幼いころから踏切で雷鳥を見続けて育ちました。国鉄は生まれたころにはすでに影も形もありませんでしたが、本線上を走っている車両がほとんどが国鉄型だった時代でした。その中でも、雷鳥は一番輝いていました。自然、撮り始めたのも北陸特急。
 
 撮り始めたころは、今から見れば国鉄型が日本中にあふれかえっていた時代でしたが、年齢的な制約もあり、主に東海道本線、湖西線、北陸線で国鉄色485の姿を一貫して狙い続けてきました。
 
 相手は遅くても大抵90キロ以上、最高で130キロで走る被写体。特に湖西線といえば日本有数の高速新線。中高生の頃、連写できないフィルム機(EOSkiss3)で一撃必撮するのは集中力が要り、大変でした。しかし、それだけに思い通りの切り位置で撮れるようになった時は本当にうれしかったです。

 思い出は数えだすときりがないです。雷鳥は、まさしく私の写真趣味人生を共にしてきた列車です。でも、今月で1往復だけ残っていた列車が引退していきます。


 約10年間同じものを撮り続けられて、本当に幸せでした。さようなら・・・。


 




2008年 1月25日 北陸本線 湯尾-南条 


3月改正にむけて [北陸]

 今月のダイヤ改正といえば、撮り鉄的には
・九州で485系一斉置き換え
・富山のキハ58
・雷鳥の完全置き換え(8号、33号)
・北近畿特急用183系の置き換え開始
が大きいでしょうか。

 地味ですが紀勢西線系統も整理が入り、阪和色113系や103系の淘汰、381系国鉄色によるライナーの特急化と国鉄色381の北近畿転用、紀勢線特急の減便や一部減車(ex;オーシャンアローを白浜で増解結)が行われます。
 あけぼの、日本海、きたぐにと日本海縦貫関係の夜行列車が一斉淘汰という噂もありましたが、とりあえず今月で廃止ということはないようです。
 また、ダイヤ改正ではありませんが、石北貨物が来シーズンからさらに1往復減便のようですね。


 この3月に去るもの達はどれも多かれ少なかれ私たちに思い出を残してくれた車輛たちです。しっかりと、お別れをしなくてはいけません。今までありがとうございました、と感謝しなくてはなりません。

 個人的に今回一番大きいのは、雷鳥の完全置き換えと富山のキハ58の引退です。どちらも完全にこの地上から消滅してしまうのです。私は、一つの時代の終わりを感じます。
 今日は富山のキハ58のことを書きます。


*********************************


 かつての急行用気動車として、全国で活躍したキハ58。最後の活躍の地は意外にも富山でした。


 富山県による高山線増発社会実験の車輛不足を補うため、予備で残されていたキハ58が4両集められ、走り続けてきました。高山線からはもともと10年以上前に撤退してキハ120化されていたのですが、異例ながら復活することになったわけです。

 そのうちの2両が、2008年の夏に急行色に塗り戻されました。


 ただ、塗り戻されたのが定期運用で猪谷まで入らなくなった後。走っているのは富山平野を淡々と行く富山~越中八尾間で、当初は大してアングルないだろうなあと抵抗感がありました。(もっとも、素朴な田園風景が広がり、北アルプスが時に風景を引き締めるので、意外とアングルが多様であることに後になって気が付きました)。
 一番困ったのは平日限定で、運用はJRによる公式発表がなく予測するしかないこと。富山自体は決して遠いところではありませんが、撮影に行くのは非常に勇気がいり、結局国鉄色の走りは2回しか撮れていません。


 そのうちの1回は、おわら臨で猪谷まで2往復入線した時。その時のものを紹介します。例によって今回も「鉄路慕情記」にUPしていたものですので、原文に一言を添える形でいきます。UPした日は2008年9月7日です。開設と同時にUPしました。


2008年9月1日 高山本線 楡原-笹津


(原文)

 この直前に予讃線の千丈S字で定期のゴハチロクゴを待っていましたが、ただでさえドン曇りの上に直前にバルサン攻撃を受けあえなく大轟沈。代走もなかったのでとぼとぼと今治での野暮用に合流。
 しかしここで負けるわけにはいきません。帰りがけに翌日は富山劇晴れという話をともさん(鉄路慕情記の管理人)から聞いてしまったので、大阪に帰ってすぐに急行きたぐにの客となりました。狙うは最近国鉄色になった富山のゴハチ。おわら臨で運が良ければ国鉄色ゴハチが猪谷まで入るはず。そうでなくても平地で黄金に輝く稲穂とともにかなりの本数が撮影できるはず!
 結局、猪谷に入るほうに国鉄色が入ったので、眠い目をこすってこの俯瞰地へ登りました。予報に反して流れ雲が多くひやひやしましたが、写真が上がってくると湖面に映った空の表情を思いのほか良い感じで感激しました。

(一言)
 この時期、四国ではキハ58が最後の活躍をしておりました。特に予讃線松山以西では1往復の定期運用のほか、他の車輛の検査代走で時々走っていました。
 この時、四国で野暮用があったのでついでに定期を狙いました。結果、惨敗だったわけです。

 塗り替え直後でピカピカの国鉄色、本当にまぶしかったです。しかし、この時から屋根はサビサビでした・・・。
 
 この時から結果として2年半走り続けましたが、富山のゴハチは満身創痍で故障も多かったとか。お守り役も毎日ギリギリで何とか送り出している…という話を聞いたことがあります。本当に、お守り役の方もキハ58もお疲れさまでした。

最後の九州ブルトレ、東京を目指す [九州]

 

2009年2月21日 日豊本線 杵築-大神 2レ「富士」



 過去ネタです。今回はもともとウチのサイトに載せてたやつです。こういう記事は「原文を残しつつ、今の視点でコメントを載せる」という形を原則にしたいと思います。サイトへのUPは2009年3月8日。この年の改正は3月14日だったかなと思います

(原文)
 九州のブルトレもついに最後が近づいてきた。思えば私が幼いころに熟読していた図鑑の最後を飾っていたのが九州のブルトレたちだった。堂々たる長い編成を従えて深紅の機関車が様々なHMを輝かせて走るその姿に幼いころ憧れをもっていたものだった。
 その後10年ほどが経ち撮影を始めたころには、編成は短くなりHMは大抵合併マークになり、牽引する機関車は色あせてピンク色をしているという状況だった。それに加え九州はとても遠いことから、九州ブルトレの撮影に行くということは頭から長らく消えてしまった。
 そうして10年近くがたった。気がついてみると九州ブルトレも富士とはやぶさだけ。しかも廃止が迫っていた。もう永遠に見れなくなるというと話が違う。また編成は短いけれど、HMはどちらも九州内では単独HMで、機関車は最近綺麗になったらしい。そのことを思うと、だんだんと撮りたくなってきた。最後の最後になくなるとなって駆け込むというのはとても情けないような気もしないでもないが、撮りたいものはしっかりと撮っておきたいと思い九州に向かった。
 とはいえ、九州というと島鉄以外ろくに撮ったことがないので撮影地は全然知らない。なので定番をおさえようと考えてこの時の撮影行きは行動した。3日間の撮影のうち、21日は日豊線の有名撮影地を撮り歩いた。下りは管理人殿も昨秋撮った中山香のカーブでやや横がちに、そして上りは杵築で4時間、周囲の各地からやってきた方々と談笑しつつひたすら待ち続けた。そうして日が傾いてきたころ、森の向こうから車体を輝かせてはるか東京に向かうブルトレが現れた。

(一言)
 いわゆる「葬式鉄」ですね(汗)。
 出来るなら引退の前からじっくりと四季折々撮りたいなと思っていますが、いまでもやってしまっております。今年も、しますよ(大汗)。

 この時は前日にドリームにちりん乗車、臼杵で降りて2時間ぐらい待って(寒かった!)始発で杵築へ、中山香で下りを撮った後ここに移動しました。
 なんでこんなことしたのか、本当に謎ですが、単純に九州内唯一の夜行列車に少しでもいいから乗りたかったのでしょう。
 臼杵で降りるとき、車掌さんが「こいつ大丈夫かな…」という顔でこちらを見ていたのを覚えています。
 降りた人は他にもいましたが、旅姿の者は私一人だけでした。一応、八幡浜行きのフェリーに乗り継げるダイヤだったのですが、よっぽど珍しいようです。

 そのドリームにちりんも今月の改正でついに御引退。かつての急行かいもんのなごりだったこの列車も九州新幹線開業に伴う大改正でひっそりと姿を消します。



 この日、九州のブルトレを初めて見ました。深紅に輝くナナロクが栄光あるHMをあげて、短いながらもブルトレを牽く姿は非常に魅力的でした。本当に、その場で一目惚れ。「引退直前に何ということか!」と本気で思いました。
 そのせいでしょう、改正直前となった3月10日から九州に再上陸しました。思い出深いです。



 今頃、杵築の築堤は菜の花でもっといっぱいなんだろなあ・・・。



そういえば


試運転 [ケータイ投稿]

たまにやってみたいと思います。

画像は…昔のもんです。今いる場所ではありません。

ちょうど2年前の米坂線です。国鉄型が最後の活躍をしていました。
免許を持ってなかったので当然歩き鉄。一日4~5本の列車を狙っての撮影でした。

それまでにない効率の悪さでした。しかし長年行きたかった東北、ひたすら楽しかったです。


また、列車に乗るからこその楽しみも…。
青い世界の中、ゴーニが雪原を駆けて行きます。

羽前椿折り返しの列車に、寒いからという理由だけでほぼ1往復乗った時の一コマ。
090302_174650.JPG

追伸


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

昔話でも、はじめましょうか [九州]

 昔話といっても、せいぜい20代前半の青二才、そんな大したお話はできません。せいぜい、21世紀に入るか入らないかくらい。

 昔撮った写真を掘り出してはコメントを書いていく、といった感じでやりたいと思います。



 結局は昔わがサイト「鉄路慕情記」で出したネタが主体になると思いますが、

どうぞお付き合いください・・・。



 極力時期の合うのがいいと思うのでやはり3月の写真ですな!

 ・・・とは言ってみたものの、3月って撮り鉄殺しのダイヤ改正のある月、

 「直前の追い込みじゃオラ~~!」

 ってなってる一瞬が過ぎてしまえば

 「どうせ風景単調やし、オフシーズン。鉄は桜までお休み」

 ってなってるわけです。

 しかも、直前追い込み~って言っても知れてます。

 そんな中で何があるかな・・・うーん。これで行きましょうか。





2008年3月31日 島原鉄道南線 布津新田 キハ2006+2003 


 3月は別れの季節。この年の3月のダイヤ改正は「なは・あかつき」に「銀河」、「日本海2、3号」とブルトレ大淘汰。たしか北斗星も減便だったかな。あとマイナーながら個人的に大きかったのは四国のキハ58の定期運用大幅削減、羽越線ED75臨貨廃止など…結構いろいろありました。

 そして最後にドカーンと来たのが島鉄南線廃止でした。

 その昔、家族旅行のついでにちょっとだけながら撮影して以来、何とかして島鉄は行こうと思っていましたが、最後の3日間、現地で泊まり込みで撮影することができました。

 最終日となり、昼前なら雲仙岳バックのこのポイントが順光…ということでここへ。朝からまとわりついていた雲は一瞬だけぬけて、その姿を現しました。菜の花が咲く沿線は春そのもの。ぼやっとした雰囲気がかえっていいかも。

 山が見えたわずかな時間の間に、HMをつけたヒゲ付きのキハが御登場。こんなこともあるんだ~と感激。


鉄路慕情記 更新予定[2011年 3月] [鉄路慕情記 更新告知]

 せっかくBlogを作ったのですから、こういうこともしていいかな、と思いましたので…。ここで、ただいま鋭意立案中のページがどんなものか、ご紹介したいと思います。正式な題名はまだ未定ですが、
 

①さようなら419系特集
②恒例 副管理人(当Blog管理人)の遠征記録


 といった感じです。

 
 ①は約10年分のストックから写真をセレクトしている所です。
 北陸特急のついでに撮ってたので、

 「意外と撮ってるなあ…」

と(鉄路慕情記の)管理人殿と話をしております。
 
 食パン電車、青い女王様がなんとも安っぽい改造で…という感じも当初はしましたが、
あの甲高いモーター音、もはや故郷の響き。乗ればさすがの乗り心地。

「北陸の名脇役」と言っていい彼らを、この改正後は目にすることができないのか・・・となると何ともさびしいものです。
 

 どんな特集になるかは、まだ見当すらついていないですが、お楽しみに…。

 


 ②ですが、これから遠征するつもりです。
 うまくいっても早くて3月末の公開となるでしょう。

 紹介できるような写真が撮れることを祈るのみです。





 せっかくですから、ひとつ写真を入れてみましょう。

 ホームページの表紙写真ですが、水橋の419系です。

 嗚呼、激山なり。




この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。