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新緑は? [○伯備線]

 今年は少しばかり新緑が遅いような話を聞いておりますが、果たしてどうなのでしょう?

 去年は4月に寒の戻りで新緑が遅れました。なので去年の連休には伯備線まで国鉄色やくも狙いに行ったものの新緑狙いの計画は破綻。残りの日は湖西線で臨時雷鳥をひたすら撮っておりました。

 結局、国鉄色やくもの設定自体これが最後になってしまい、残念。とはいえ、EF64やら赤やくもやら、まだまだ被写体の多いところだけに注目しています。今までの色と比べるとやはり赤やくもは歓迎でしょう。


2010年5月1日 伯備線 上菅-生山




 中国道を西へ下ること3時間弱、新見に着くとそこそこ新緑していたものの奥に入るとさらっと緑が出ているくらい。鳥取側となると全くと言っていいほど新緑していなかったので唖然。


 午前中は流れ雲に耐えつつ田んぼに水の入った銀山カーブで国鉄色やくもを撮影。昼前からからはロケハンしているうちに季節の素材があちらこちらにあることに気が付いてきたのでこれを取り入れて撮っていました。そのうちの1枚。

季節は巡る [紀勢]


2011年4月29日 紀勢本線 新鹿-波田須

 ああ季節は巡る。紀勢東線に通い始めて2年目の春が過ぎていく。

 桜が終わって2週間。新緑が始まり、田んぼには水が入っているだろうと予想して向かった南紀。すでに田植えが終わっておりました。

 本日は原色機が登板。やはり原色っていいですね。


観察、観察 [ケータイ投稿]

日々あれこれと、粘り強く観察し続けることが大切…。

小さいころは運動神経がゼロに近いものだからあまり外に出ず、ゲームも一時期はまったことはあったものの、友人たちの家でマリオカートをやり始めたものならすぐ逆走し始めるレベル。総じて見るとそれもろくにせず、大抵何をしていたかというと一人で本ばかり読んでいました。
そんな性格がエスカレートして、小学生の頃は休み時間となれば図書館籠りをしていたのでした。
そうして読んでいだ本の中に、誰だったか有名な画家さんの伝記だったか、科学者の伝記だったか、忘れましたが、上のような言葉が書いてありました。

これとどれほど関係あるか分かりませんが、その頃から意図しているのかしてないのか、ものを見ることに熱中することが増えました。最近は気がついたら観察しています。
写真撮り始めてからは色んな所に行く機会が増えたので、見るものの種類が一気に増えました。そして、いいなと思ったものを前にしていつも思うことは、うまく写真に出来ないかな、ということ。

観察することも楽しいですが、そんな蓄積されてきたイメージと現実に目にするものが繋がる瞬間がまた楽しいです。
それはたまたま見える自分の目の前の風景だったり、イメージと繋げるべく考え続けた結果撮れた自分の写真だったりもしますが、他の方の写真だったり、画家さんの絵だったりすることもあります。極論すれば音楽でも文章でも構わないです。
何にしろ表現するという行為は、やはり素晴らしい。特に、評価の固まっているものなんか見ると、イメージとして抽象化されたものをきれいに掘り起こしてくれる…と私は思っております。

ということで、神戸で見つけたもの。これやと何のことやら???ですが…。
桜は終わりましたが、八重桜が咲いてきました。4月も末ですね。
ここ2日曇り→雨だったのでこれは一昨日の写真です。
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連休、連休 [甲信越]



2008年5月4日 中央本線 大桑-野尻


 金曜から連休。連休と言えば新緑。そして、早い時期だと八重桜も見事です。

 八重桜と言われるとなぜか大糸線や中央西線を思い出します。普通に大阪や神戸でも咲いてますし、他の撮影先でも見かけるのですが。

 大糸線である理由は小滝駅ホームの八重桜だと思いますが、中央西線である理由はたぶんここかな・・・?



 2008年の連休、JR東海最後の国鉄特急色を守っていた381系による臨時「しなの」が最後の運転でした。それまで撮りたい撮りたいと思っていたものの未撮影。引退間際となって集中的に撮影しました。

 この場所、実は4月末に行った時右奥に八重桜が見事に咲いておりました。しかしバリ晴れ条件だった日に、時間の読み間違いという鉄としてあるまじき凡ミスで撃沈。その日で撤収せざるを得なかったので泣く泣く撤収しました。

 黄砂予報を気にしつつ山がしっかり見えるまで・・・と言っていたら連休も終わりが近い5月4日となりました。今度は間違うまい。場所の選定を入念に行い、切り位置はここにしよう・・・。結果、例の八重桜は写し込めませんでしたが4月末の時より山がよく見えているし、私的には満足。昔北アルプス登山の時に利用した思い出深い列車を何とか思い描いた場所で押さえることができました。



 この1週間切れ切れながら同じ場所に通ったので、目に見えて緑が濃くなっていく様子が分かりました。見ていて感動的なものすらありました。

 



水鏡の季節 [○大糸線]

 4月と言えば、徐々に田んぼに水が入り始め、田植えに向けて目に見えて準備が始まる・・・というイメージです。

 田んぼに水が入ると、無風状態となれば空の表情が写り込みますし、位置を工夫すれば被写体も写り込みます。その様を、撮り鉄の間での用語かもしれませんが「水鏡」と表現します。例えば、こんな感じ。







2009年4月19日 大糸線 頸城大野駅


 大糸北線の各駅は豪雪地帯であることを考慮してか、今時のローカル線としては珍しいことに姫川駅を除く全ての駅に駅舎があります。その中には昔の駅舎がきれいに残っている所もあります。中でも写真に出しました頸城大野駅はペンキで塗装はしてあるものの木造で、渋かったです。この駅を題材にと、よく撮りに行きました。

 この駅は無人駅なのですが、地元の方々が丁寧に手入れしているようで、いつもきれいにしてありましたし、この日は花壇にチューリップが咲いておりました。こういう光景を見ると、そこに根付いている有形無形のものを感じ取ることができます。



 「水鏡」の風景が広がれば、地元の人自慢のコメの収穫まで、5か月ほどです。色彩豊かでフォトジェニックな季節の始まりでもあります。




 

撮影先でのお楽しみ③ [ケータイ投稿]

九州にゴハチロクゴの団臨撮りに行った日、まず日田まで出ました。
行くと、イベント列車が来るということで駅前に出店が出てました。列車鉄のとき≒食料難なので、すかさず何軒かで購入。

焼きそばが独特でした。カリッと焼いた麺に、ちょっと辛いソース(だったと思う)がイイ感じでした。あれは、また食べたい(笑)。

列車で撮影に行くのは時間の拘束が厳しい、重い装備を担いで長距離を歩くので体力の消耗が甚だしい、そして1つの判断ミスが大きく響く、などの問題があり、ちと辛いのですが、思わずこういう出会いがあるのが楽しいです。


このあと…奈良尾橋の俯瞰に行きましたが、結局真っ暗になってポツリポツリときてる状態で通過。
そして撮影から15分後、凄まじい土砂降りとなりました。間違いなくわが鉄ちゃん史上最悪。

あの日は、日曜&晴れたら国鉄色塗り戻し以来最初で最後のバリ順時間帯通過という、撮り鉄的には非常に重要な日でした。
かく言う私も雑務をやっつけ新幹線で現地入り。
同じようなことを考えられた方は多かったようです。麓は大入りだったと聞いてます。
しかし…この日現地におられた方とお話するとふたこと目にはあの雨の話になります。本当に凄い雨でした。


さて、私はあの時、むらさきさんと一緒に、ご一緒した北九の大学生の方に小倉近郊まで乗せていただいたので事なきを得ました。あの時はありがとうございましたm(_ _)m
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菜の花と、原色DD51 [○北陸本線]

 菜の花は花期が長いので、随分と長い間楽しむことができます。九州に撮影に行ったときは2月末から咲いていてびっくりしましたが、関西だと4月から5月というイメージがあります。

 さて、2006年の連休は湖北の線路に近い田んぼに菜の花が植えられ、こちらでは話題になりました。湖西で午前ラウンドを押さえた後で湖北に回りましたが、もう大入りもいいところ。この年の連休の北びわこ号がC57牽引だったことが大きいのでしょう。

 北びわこ3号はさすがにベスト位置は押さえられず妥協ぎみに押さえましたが、そのあとにくる列車も私にとっては重要。何といっても直流化直前、419系や475系も是非押さえたい所ですし、もうひとつ当時気になっていたのは北びわこの回送用に使われていたDD51。何といっても天下の宮原機関区が虎の子のように大事にしているとしか思えないほどピカピカな原色機、当時もやはり燃えました。



 C57が行った後だいぶすいてきたので速攻で場所取り。伊吹山を真正面におけるポイントを押さえられ、満足。しばらくして、ゆっくりと原色機が登場。単機だけにシンメトリー?な構図になりました。





2006年5月3日 北陸本線 田村-長浜


 私が撮り鉄を始めたのはまさにこの辺り、湖北でした。北びわこだけでなく、原色ボンネットのしらさぎ、モノクラス6連ながらこれも原色だった加越、419系や475系のローカル、高月発の専貨やらチンドコ貨物(原色機、若番機多数)やら、あの頃は本当に賑やかでした。

 なので昔からこの辺りには何度も行っているのですが、湖北の線路際に菜の花畑が登場したのはこの年だけだったような気がします。



 この後、北びわこの回送機は直流化でまさかの直流釜化。本格的な交流電化が初めてなされた湖北で直流機というのは違和感アリアリです。また、この回送用DDを撮ったのも思わずこの時が最後になってしまいました。



緑っていいなあ [甲信越]

 そろそろ気持ちを切り替えます。



 ちょっと気が早いかもですが、やはり連休中の新緑がいいですね。私が今まで行ったことのあるところで新緑が美しい所、というと信州かなあと思います。同じくきれいだと聞いている東北についても書きたいのですが、本当に新緑、というシーズンには行ったことがありませんので書きようがないです。行きたいなあ。

 信州の新緑は、こちらの新緑と比べるとまぶしいぐらい美しいと私は思います。小さい時は暑くなっていくばっかりで5月6月って好きでなかったのですが、価値観が変わったような気がしました。





2008年5月4日 飯田線 田切-伊那福岡


 飯田線には臨時「しなの」の撮影のついでに少しだけ撮りに行きました。思ったより起伏の激しい複雑な地形をしていたのに驚いた記憶があります。田切のカーブって有名ですが、本当に小さな谷のなかにあります。

 地形に忠実に、急カーブを切って谷を登り降りしているわけです。

 国鉄と比べ予算的に制約のあったであろう地方私鉄として建設された飯田線、特に北半分はこんな所が多いようです。



 この撮影地は北側の斜面に登っていく所にある鉄橋。これも有名ですかね・・・。

 109系電車が本当にゆっくりと、橋を渡ってきたところで1枚。



 飯田線も撮影地的に奥が深そうですが、この日以来行ってないです。

 まだまだ撮りたいものがありすぎて困ります。



ゴハチ車内、散策 [山陰]

 深夜に書いているともうクタクタで、やっぱり文章が乱れますね・・・。相変わらず30分ぐらいでササーと書いてるのですが、翌日の昼ごろにケータイとかから一部書き直す毎日が続いています。
 今日は朝に下書きして夜に最終確認、ということにしましたが、うまくいくかな?



 今日は午前中、休みとれそうだったのでふいっと湖西でも行こうかと思いましたが、やな予感がしたのでやめました。結果、トワ釜襲来。以前より行きづらくなりました。もうメインは117系&貨物ということにして気にしないのが一番なのかな。



 さて、今日はせっかくだから昔の日本海の写真でも出そうかと思いましたが、どうも気が向かないのでアルバムの中からふと見つけた写真でも。







2004年2月1日 山陰本線 キハ58系車内(城崎-竹野)

 今はどうなっているのか知りませんが、かつてはカニシーズンの豊岡―浜坂間の普通列車の増結が比較的注目されていました。そのために西管内各地の車両が応援に来ていたことが大きいです。
 2003年度の冬は、10月改正で鳥取ライナーなどの運用から撤退した鳥取区の国鉄色キハ58系6両が豊岡区に貸し出されました。

 これが定期列車3往復に4連を組んで決まって運用される・・・という情報はNet上で広がりました。雑誌ではほとんど紹介されませんでしたが、いつ行っても鉄ちゃんが結構おられました。当時はNetがようやく普及し始めたころ。「Netの時代が来たんですねえ・・・」と同業の方がお話していたのを思い出します。



 さて、当時私は中学生。この話そのものはかなり早い時点で把握していましたが、Net上の話だけに半信半疑。当初はどのスジに入るかもよくわかっていませんでした。ただ、T君と学校で「…らしいで」という話はしていて、お互い鳥取ライナー消滅で意気消沈していた所だったものだから奮い立ったものです。中学生だけに限界があり、すぐに飛び込んでいける状態ではなかったですが、我慢を続けること1カ月余り、定期試験が終わってすぐに12月中旬に試しに行ってみました。確かに走っている!!と確認できた時は感動したものです。「国鉄王国山陰」でまだ撮れるんだ!と。




 私がこの冬に行ったのは3回。当時としてはかなり頑張った方でした(T君は毎週のように行ってたような・・・)。




 うち1回は雪がおさまり何とか晴れた1日。城崎前泊で、列車で移動しました。

 しかし、ゴハチの4連の1本目は始発の豊岡発香住行き。午前中に香住折り返し2往復、午後に浜坂まで1往復という運用だったので餘部固定、という訳にはいきませんでした。考えて、1駅間だけ乗りました。

 城崎と竹野の間は小さな峠があり、ゴハチはゆっくりとエンジンをうならせながら登っていきました。車内は乗り鉄ゼロ。僅かな乗客のみで現役感抜群。渋いなあ!

 車内を探索していると、助手席の上に前面幕操作用の表が張ってありました。見ればおなじみの鳥取-米子間の幕のほかに、現物を見ることすらできなかった石見ライナー用の幕やら、伯備線、因美線、若桜線用の幕やら・・・。見るだけで楽しかったです。ペン書きの車両番号と一緒に、1枚。

追記


ゲキヤマ [○北陸本線]

 撮り鉄用語、だと思います。ローカルワードかも。

 富山の方の某有名掲示板と、その関係者の方々が主に使われています。

 用例を見ていると、空気がクリアで北アルプスがバシーと見える時に使うようです。北アルプスは日本有数の高い山々。一方で我々が撮っている場所はほとんど平野部なだけに、まさに頂上との高低差=標高です。だからこそ、山が見える日は圧倒的な存在感があるようにおもいます。そのことを思うと、この言葉は語感としてぴったりだと思います。このあたり富山に行かないとわからない感覚かもです。

 

 東に3000メートル級の高い頂が連なる富山平野、空気のヌケがよいときは本当にきれいに見えますが、いつもいつも見えるわけではありません。また、日の出前は見えていても日が登った瞬間キリが上がってきてお隠れ遊ばされたり・・・と結構きまぐれです。



 さて、そんな「ゲキヤマ」な一日、何度か遭遇したことがあります。

 この日は金沢付近からも北アルプスが見えるほどのゲキヤマっぷりでした。

 撮影地調査が不十分だったことが災いして(チューリップの作付状況をよく知らないまま出かけたのが非常にマイナスだったです)効率的な撮影は出来ませんでしたが、何枚かそれなりのものは撮れたかな・・・という感じでした。

 



 富山まで行くならあと一歩で大糸!と思ってしまい、富山の写真は思いのほか少ないです。風景は昔から大好きなんで中学生の頃から夜行3連発狙いで行ったりはしているのですが。

 神岡貨物やら、夜行3連発やら、ゴハチやら、ネ申な被写体はさすがに去ってしまいましたが、それでも魅力的な被写体がまだまだ残っている地域なので、これからの課題、と思っています。





2009年4月18日 北陸本線 東滑川-魚津





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