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忘れることなど・・・できるものか [山陰]

 8月になりましたね。Blog管理人は雑務がますます・・・なので少しお休みをいただいておりました。
 8月は手もちのネタには事欠きませんが、さてさて・・・。

 今日は中学生の時の写真でも出しましょうか。まあ、当時は不運続きで悪い思い出が多くそっちも忘れられませんが、そういう頃に出会った車両や風景というものはずっと忘れられないようです。
 

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2003年8月14日 山陰本線 宝木駅

 国鉄王国、山陰。かつてはこれに類した言葉が雑誌でよく踊っていたものです。走っているのはキハ58にキハ181、キハ47など国鉄型気動車。しかもほぼすべて国鉄色。ブルトレ出雲あり、伯備貨物も全て原色。その他にもいろいろ。にぎやかだったわけです。被写体が多かっただけに、雑誌も充実した内容のものを出していました。
 私がようやく山陰などに遠征出来るようになった時にはすでに山陰西部の主だったキハは銀箱化していて、鳥取―米子間だけでした。
 鳥取米子間は雑誌など書籍上ではあまり撮影地のでていない、撮りにくい地域というイメージがありましたが、当時普及し始めていたインターネットはそのイメージを覆してくれました。各サイトでは様々な写真が出ていて、毎日新しい情報が出ていないか、学校から帰宅してすぐcheckしていたのを思い出します。
 そうやって集めた資料をもとに研究を重ねつつ、この年の8月と9月に各1回現地に行きました。もう8年前なのですね。私にとってはまだ過去になっていない過去なのですが。

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 1回目は天気予報気にせずML八重垣の指定券を確保し、T君と18きっぷで行きました。大阪-岡山間はPF、岡山-出雲市はDD51(手元の写真によると、
この日はDD51 1179[後])が牽引していました。編成はブルーの14系客車4両。満席でした。
 必死で親に頼み込んで電話で発売当日の窓口が開いてすぐに予約を入れてもらい、何とかとれた指定券でしたが、14系客車は青のバッタンシート(簡易リクライニングシートというやつです)で、寝づらいことこの上なかったです。しかも1号車。運悪く電源エンジン付きのスハフでした。停車するたびにうるさいエンジン音で目が覚めてしまい・・・。
 結局、岡山駅での機関車付け替えまで起きてしまいました。そうなればせっかくだからと見物しに行きました。
 確か庭瀬あたりから上石見あたりまではしっかり寝てたと思います。起きていた時の列車のスピードの印象は姫路まで最高90キロくらい、姫路からは70キロくらい。DDも同じ感じでした。今からよく考えると、ここまで起きてるんならいっそ谷田峠の25‰を力行するエンジン音を聞いてみたかったような気もします。まあ4両では軽過ぎかな。

 目が覚めると、カタン・・・カタン・・・と、揺れながら、列車は走っていました。デッキの方を見ると、DDの顔がゆっくりと左右に揺れながら見えました。外は小雨模様。ほとんど暗闇ながら僅かに明るくなりつつある外の田園風景をぼんやり見ながら、時を過ごしました。
 しばらくして山が迫ってきたかと思うと鉄橋を渡り、トンネルを抜け、やがて減速して駅に滑り込む・・・。ここでようやく自分がどこにいるか分かりました。生山駅、4時55分。この駅でも客扱いはありましたが乗降客がいたかは不明。
 大阪発は22時27分。岡山発は2時24分。本当は7時間寝れる所をわずか2時間半しか寝れていないという驚愕の事実を目の当たりに。しっかり者のT君は慣れているのか、ちゃんと大阪駅から寝てました。
 根雨5時14分発。次は伯耆大山。だんだん明るくなってきたところで、乳白色に包まれた空が見えてきました。大山見えないなあ(当然)。
 やがて本日初めてのオルゴールが鳴り響く。ハイケンスのセレナーデ。もちろん国鉄そのもののオルゴールでした。灰皿にもJNRマーク。なんとも国鉄な列車でしたが、確か2004年頃を最後に設定がなくなりました。最後の年はDD51の通し運転で走りました。
 かつて大阪駅を西に向かってたて続きに出発し、在来線全盛期を思い起こさせる存在だったJR西のMLシリーズの中では、ML山陽とともに早い時点でなくなった列車でした。JR世代の私にかつての夜行列車の魅力の一端を教えてくれる生き証人たちでした。

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 伯耆大山で下車。5時44分。外は雨模様。すぐやってきたキハ47の5連に揺られ、大山寺駅で下車。しばらく駅撮り。キハ58の4連とか、キハ47と58の4連とかを撮影。その後キハ47に揺られて、移動。前夜の無理が祟り出雲は車内より軽く見る鉄。野太いDDのエンジン音だけはよく覚えています。
 天気悪いので長和瀬など風光明媚な撮影地はパス。宝木駅に落ち着きました。・・・しかもT君に判断丸投げという、非常にたちの悪い私でした。あの時は本当にありがとうございました(_)。
 その時の順向き1発目が上の写真。詳しいことは今一つ覚えていないですが、雨に濡れた雰囲気が撮りたくて縦位置で切り取りました。雨の中、か細い三脚に1台のカメラを載せ、タオルでくるんだカメラをしっかり手で握って、シャッターを切りました。


 現役バリバリの国鉄色キハ58による快速列車。当時復活塗り戻しでも何でもない国鉄色キハは山陰だけ、ということがよく言われていたと記憶しています。一貫して走り続けてきたものだけがまとう、現役という空気。そのインパクトは巨大でした。
 今だったら鳥取まで車で4時間もかからないので毎週のように通ってしまいそうですが、中学生だから2回だけ。しかもこの日のベストショットはこれだけといっていい状況です。
 でも、だからこそいっそういとおしいのかもしれません。


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