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能登路 盛夏の頃 [北陸]

 2004年。この年は写真的には充実してたのかな。でも、いろんな意味で悪夢の時代。帰りたいか?特に当時の同級生だった友人とはよくする話題です。

 うーん、口では「被写体だけ帰って来るんならエエんやけどなあ」とか言っとりますが、本音ではやり直したいかな。確かに嫌なこと多かったけど、それでもしておきたかったことがたくさんあります。



 ・・・まあいちいち書くのはやめておくとして。



 ただ一つ。愚痴は「あきらめていない」から、言えるもの。






 この日の遠征先は能登線。国鉄色に塗り戻された金沢のキハ58による急行「能登路」の撮影に行きました。

 一発目は今も鉄道が残っている和倉-穴水間で狙うべく撮影地探し。昔から能登鹿島あたりの海岸線がよく知られていますが、草が高かったので諦めて能登中島の近くの田んぼから狙いました。
 鉄が農道に集中する中、丁度農家の方々が農薬散布のためやってこられました。こんなにおられたら困る、はやく出ていってくれというご様子。しかしそこはイベント列車の走る日だけありました。群衆の中から「ある時間を過ぎたら一斉に皆いなくなりますので・・・あと10分だけ待って下さい」とお願いに行く方の姿がありました。ご好意をいただいた農家の方ももちろんのこと、こういったことができる方ってありがたいです。

 そうして何とか排除は逃れた撮影地で、あれこれ考える・・・。通過直前まで無言でアングルばかり考えているのは今もあまり変わりません。



 そして、時間。タイフォン一声。築堤をかけ下ってきたのは本当にピカピカの国鉄色。こう言った「国鉄色」の車両が走り出したはるかな昔にはこのような印象を与えてくれたのか、と思わせるものがありました。


 通過後すぐ、集まった人々は大抵穴水駅での停車時間等を使って列車を追っかけるので、速攻撤収。5分後にはほとんど人がいなくなっていました。速い・・・。地元の方もアングリだったことでしょう。



2004年8月8日 七尾線 能登中島-笠師保


 原版では左上に入道雲が出ているのが分かるのですが、PC上だと再現しづらいですね。何となく見えるでしょうか。





 そうそう、大学の友人で奥能登の山奥から出てきている人がいますが、穴水という地名が分かっただけで随分とビックリされました。

 全国各地に行っていると、お会いする方とその方の地元の話が少しはできることが多いです。便利なのかな?どうなのだか。




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