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終着駅 [北陸]

 最近雑務がますます・・・なので、更新ペースが随分落ちてしまいました。あと数回分を、せめて今月中に出さなければ・・・。


 では、話の続き。

 能登線の終点は蛸島駅でしたが、この時の「能登路」は珠洲駅が終着駅でした。折り返しまでの間、駅に入って撮影しました。
 珠洲駅はホームは島式1本だけで、それに留置線が2本と車庫があるだけという簡素な駅でした。静かな街中にある小さな駅でした。
 到着後しばらく、ホームで撮影。少し撮りにくい位置だったのが難でした。下り列車はこちらのホームを使うことになっていたので仕方ありませんでした。
 


2004年8月8日 能登線 珠洲駅

 しばらくして入れ替え作業が始まりました。


2004年8月8日 能登線 珠洲駅

 手旗を振って、安全確認。ヘッドライト点灯、エンジンの唸りとともに、一旦穴水方へ。



 駅本屋側にある留置線で撮影会が行われました。だんだん雲が割れ、晴れてきました。


2004年8月8日 能登線 珠洲駅


 留置線ではこの時運転されたキハ58と、のと鉄道移管後から急行「能登恋路号」で使用されたNT800系を並べていました。どちらも2002年まで能登線の急行列車で使われていた車両です。


 NT800系の方は車内を開放していました。運転台から入って車内を見物できました。運転台から入って1両目だけ冷房が入っていてもう1両は掛かっていませんでした。同業の方が「ものすごい暑いですよ」というのを聞いて2両目に好奇心で入ってみたら、恐ろしく暑くてすぐ撤収したのを思い出しました。
 車内の写真は残念ながら撮ってなかったような・・・。座席は黄色いチェックの生地で転換クロスシートだったと記憶しています。




2002年に能登線の急行は全て廃止されました。




 転換後に自前で急行用の新車を入れたり列車増発したりと頑張って、のと鉄道は転換後しばらくは黒字経営を実現していたそうです。タブレット閉塞だった運行システムをCTC化したりもしたそうです。線路も重軌条化していたそうで、駅でレールの断片を数百円で売っていましたが職員の方によると40kgレールであるとのことでした。最近はこれがほとんど・・・とおっしゃっていました。国鉄の簡易線といえば20kg台だったと記憶していたので当時驚いた覚えがあります。
 このレールの断片は1つ買ったのですが、やすりで磨いて今も文珍に使っています。
 いろんな努力をされていたそうですが、廃線になったのが残念です。
 当時の鉄ファンの記事では、七尾線転換が経営に大きく響いたと書いてあったと思います。その号は手元に有るはずなんですが、どの号に書いてあったか、まではさすがに覚えていないので、詳しく書くのはやめておきます。








2004年8月8日 能登線 珠洲駅


 まだゴハチを機回しする前の写真なので曇ってますが・・・丁度普通列車が発車して行くところだったので撮影。特に発車合図とかはなく、静かに発車して行きました。どこか駅員殿の雰囲気がさびしげでした。
 普通列車用に使われていたNT100系は能登線廃止後全てミャンマーに飛ばされたそうです。今はこの車両も日本国内を走っていません。







 最後に、ゴハチの顔のアップ撮りで。





2004年8月8日 能登線 珠洲駅



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