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梅雨時期 [山陰]

梅雨時期です。
そんな中、土曜日は良く晴れていましたが、終日家で過ごしていました。
あちらに行ってから生活様式が大きく変わってしまい、圧倒的インドア派です。
その方が体の負担は小さいようで、現状には合っています。
ちょっと寂しいのも事実ではありますかね。
今日は写真撮っている人として元気だったころの写真から。

2015_06_21_8466br.JPG

アジサイというのはあちらでは見かけませんでした。
園芸種として広く見られるので、環境が整えばどこでも植えられそうではあります。
モモは植えられるけどサクラはうまくいかない、とか言っていました。
植物関係はいろいろ興味が尽きません。
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 [山陰]

 最近話題になる泊っていうと、樺太の泊なんでしょうか。ちょうど樺太の1067ゲージが最後の時期に入ったということで、ネットでよくD2やTL16の写真を見かけました。
 雰囲気が、羽幌線だか興浜北線。いいなあ、と感動しっぱなしの風景。
 時間や情報の制約もあり突撃するのは勇気が必要だったので行くことはありませんでしたが、今の若い子たちもいろいろ楽しいものを見つけては楽しんでいてうらやましく思います。

 私の世代だと泊というと間違いなく山陰線の泊だと思います。泊~松崎でキハ58や出雲を待ち構えた人は多いんではないかと思います。
 泊駅自体も、午後の俯瞰撮影地としてよく知られていました。
 あまりに変わらない風景でした。今もこんな感じなのでしょうか。


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海がすき [山陰]

 海をボヤっと見ているのが好きです。
 今度は少し、広く撮ったアングルから。
 ちょうど、波が少し映り込みました。



 このころは姫新線のキハが新型に置き換えられた関係で姫新線色のキハが混じっていました。
 姫新線での活躍の様子は撮りきれなかったのですが、山陰線的にはハズレ。
 ハズレといえばハズレなんですが、まあそういうこともあったな、ということで納得させています。
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青い海を背にして [山陰]


 ちょうど300㎜F4を手に入れたタイミングだったので、この日は切り込んで使ってみました。
 青色が、鮮烈。この年は純正の望遠レンズを始めて使って、その価値に気づかされたのでした。
 長らくシグマの70-200使っていて、この日のデジは40D。
 縦アングルはちょうどこの70-200なのですが、色出しがどうもうまくいかない。
 EOS3にこの300㎜つけた写真はばっちり決まっているのですが。

 かなうものなら一式持っている今こそ、行きたいあの場所なのです。
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静かな季節 [山陰]


 秋というのはどうも静かなものなのかもしれません。
 穏やかに晴れているし、田畑は空いていて。
 丘の上から小さな集落を眺めて押さえておきたいアングルをあれこれと考える。
 いいものです。

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 [山陰]

 メキシコといっても広いですが、山の中にある広い平原の中にある街に住んでいるので、
 山国といった感じではないのですが、長く海を見ていません。
 開放感のある風景ではあるので、その点ではいいですかね。
 そして、秋といってもすっきり晴れず、この記事書いている時点で急な夕立。
 妻から秋空がきれいだ、と電話で聞いています。そういうのを、見たいなあ。

 秋の日本海はおだやかで絵になるので、この10年振り返ってみると10月の撮影は大半が日本海側での写真でした。
 とりわけ、新潟の写真が多くて、何を出そうか迷ったのですが、今日からは大きく飛んで山陰の写真でもと思います。
 少しずつ手を加えられつつも、朱色のキハが走り回っているところ。勝手知ったるホームグラウンドの一つです。かなうなら、月毎くらいのペースで黙々と撮りたいのですがねえ。




 7年前!秋の海が見たくて鳥取の長和瀬まで行ってきました。
 キハ58走ってた時が懐かしいです。彼らの引退から16年もたってしまいました。
 踏切に遮断機ができたり、田んぼがお休み気味になったりしていましたが、立ち位置はしっかり生きていました。
 この風景は今も健在なのでしょうか。東に行ってしまって以来、この界隈はご無沙汰になっています。


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しばし、帰省 [山陰]

 少し空きました。

 連休中は1日目に羽越線行っていましたが、残りは帰省。今日、任地に戻ってきました。

 とはいっても、親戚周りやら友人との会だとか撮影とかでほとんど休む間もなく帰ってきたという形になりました。



 散々動き回ったわりにはなぜか元気なのですよねえ。

 1年がかりで仕込んでいた仕事が一区切りついたというのが大きいのか、何なのか。

 自分でもびっくり。

 どっかでバタリと来ないといいんだけど(^^;)



 帰省中の撮影は、ほぼ福知山の381系でした。

 実はこれまでまともに撮ったことが1回しかなく、一気に撮影したという形になりました。

 気が向いたら連休特集でもやりますかね・・・。

 

 ま、せっかくなので、1枚。





2015.5.1 山陰本線 下山-和知


 国鉄去りて30年近くが経ち、大半の国鉄型が鬼籍入りした中で、国鉄色の381が京阪神のほど近くでかなりの本数走っているというのは意外としかいいようのない展開。

 撮影地も思いのほかいいところが多数。

 本数がやや少ないですが、特に山陰線の綾部以東は秀逸という印象を持っています。

 赤い鉄橋を何本もわたって谷筋を駆け抜ける様子や山頂からの俯瞰、どれも本来の活躍の場である伯備や紀勢西線で意外に撮れないシーンで、これはこれで撮らなければという気になっています。

 381はあまり先がなさそうな感じですが、帰省ついでに狙うにはいいところという感じがしています。撮影回数増えるかもしれないなあ・・・。

 
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自問自答 撮り残しは、ないか [山陰]

 最近、色々と出かけています。約10年分の荷が下りた気分なのです。とはいえ、そろそろ引き締めないといかんかな。

 ・・・でも、今年の紅葉はいい感じかも♪ ですね。赤系がちゃんと色づいていることが多いようです。あああ、気づいてしまった(笑)



 サイトの方の表紙にも出しましたが、かなり久々に山陰線の鳥取ー米子間に行ってきました。というのも2週間前ですね。すんません。

 この区間、寝台特急「出雲」、キハ58、キハ47、全て国鉄色でした。10年前まで「国鉄王国、山陰」らしさを最後まで保っていた区間でした。

 そんな鳥取―米子間、キハ58置き換え間近の2003年9月に出撃しました。
 天気は・・・午前中は霧でたり、雨降ったり、散々だったことを思い出します。
 そんな雨がやんで曇りになり、行ってみたかった撮影地に行きました。
 あんまりきれいな写真ではないですが・・・中学生の写真なのでご勘弁を。


2003年9月15日 山陰本線 泊‐青谷

 RMの2002年3月号「国鉄色は今!」という、なんとも「まがまがしい」タイトルの特集が出ている号に、掲載されていた1枚の写真で覚えた撮影地でした。

 煽り雑誌としての「怪しさ」がありながらも、出ている写真の水準は当時最先端クラスだったこの雑誌に、本屋で出会った時の号でした。お年玉で若干潤った財布から1000円出して、迷うことなく買った覚えがあります。


 さて、この号に載っている写真では「出雲」の後打ちでした。写真としての出来以上に、撮影地があまりないと思っていた区間での写真だっただけに色めき立った覚えがあります。
 残念ながらこの日のこの場所での晴れカットはキハ47の1本だけですが、いい思い出です。

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 鳥取のキハ58引退から8年。キハ58が完全に去ってからこの場所に一度も登ることなく、2012年になりました。
 今めぼしいものといえばキハ47のみ。しかし、全て更新済み。「出雲」もだいぶ前になくなったし、屋根スッキリなヨンナナのためだけにわざわざ行くかな。長らくそう思っていました。
 しかし、地元で抹茶色ばかりみていると・・・それが大いに贅沢であることを痛感しました。
 タラコはともかく目立つ。そして、風景は変わらないはず。
 ずっと国鉄色を守り続けている米子支社に敬意を表しつつ、改めて山陰へ行くことにしました。

 かつて4時間近くかかった道のり、今や高速道路がほぼ完成しているので鳥取まで2時間強。とてつもなく早く着きました。
 そして、朝からあの撮影地へ。何と言っても今日は高気圧ど真ん中、100%バリ晴れが約束されている!朝から手を変え品を変え、当時ではできなかったものを形にしよう、と考えました。
 行って見れば風景は殆ど変わらず。撮影地の方は草がかなり伸びて立ち位置が半分くらいになった印象はあるものの、まだまだ余裕を持って撮影可能な状態。そして、キハ47は1時間に上下各1本。
 かつて最低限の装備で写真を撮っていた頃を思い出しつつ、シャッター。


 この日から、この10年余でちゃんと撮れていないカットは他にないか?、と自問自答しています。


2012年10月20日 山陰本線 泊‐青谷


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忘れることなど・・・できるものか [山陰]

 8月になりましたね。Blog管理人は雑務がますます・・・なので少しお休みをいただいておりました。
 8月は手もちのネタには事欠きませんが、さてさて・・・。

 今日は中学生の時の写真でも出しましょうか。まあ、当時は不運続きで悪い思い出が多くそっちも忘れられませんが、そういう頃に出会った車両や風景というものはずっと忘れられないようです。
 

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2003年8月14日 山陰本線 宝木駅

 国鉄王国、山陰。かつてはこれに類した言葉が雑誌でよく踊っていたものです。走っているのはキハ58にキハ181、キハ47など国鉄型気動車。しかもほぼすべて国鉄色。ブルトレ出雲あり、伯備貨物も全て原色。その他にもいろいろ。にぎやかだったわけです。被写体が多かっただけに、雑誌も充実した内容のものを出していました。
 私がようやく山陰などに遠征出来るようになった時にはすでに山陰西部の主だったキハは銀箱化していて、鳥取―米子間だけでした。
 鳥取米子間は雑誌など書籍上ではあまり撮影地のでていない、撮りにくい地域というイメージがありましたが、当時普及し始めていたインターネットはそのイメージを覆してくれました。各サイトでは様々な写真が出ていて、毎日新しい情報が出ていないか、学校から帰宅してすぐcheckしていたのを思い出します。
 そうやって集めた資料をもとに研究を重ねつつ、この年の8月と9月に各1回現地に行きました。もう8年前なのですね。私にとってはまだ過去になっていない過去なのですが。

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 1回目は天気予報気にせずML八重垣の指定券を確保し、T君と18きっぷで行きました。大阪-岡山間はPF、岡山-出雲市はDD51(手元の写真によると、
この日はDD51 1179[後])が牽引していました。編成はブルーの14系客車4両。満席でした。
 必死で親に頼み込んで電話で発売当日の窓口が開いてすぐに予約を入れてもらい、何とかとれた指定券でしたが、14系客車は青のバッタンシート(簡易リクライニングシートというやつです)で、寝づらいことこの上なかったです。しかも1号車。運悪く電源エンジン付きのスハフでした。停車するたびにうるさいエンジン音で目が覚めてしまい・・・。
 結局、岡山駅での機関車付け替えまで起きてしまいました。そうなればせっかくだからと見物しに行きました。
 確か庭瀬あたりから上石見あたりまではしっかり寝てたと思います。起きていた時の列車のスピードの印象は姫路まで最高90キロくらい、姫路からは70キロくらい。DDも同じ感じでした。今からよく考えると、ここまで起きてるんならいっそ谷田峠の25‰を力行するエンジン音を聞いてみたかったような気もします。まあ4両では軽過ぎかな。

 目が覚めると、カタン・・・カタン・・・と、揺れながら、列車は走っていました。デッキの方を見ると、DDの顔がゆっくりと左右に揺れながら見えました。外は小雨模様。ほとんど暗闇ながら僅かに明るくなりつつある外の田園風景をぼんやり見ながら、時を過ごしました。
 しばらくして山が迫ってきたかと思うと鉄橋を渡り、トンネルを抜け、やがて減速して駅に滑り込む・・・。ここでようやく自分がどこにいるか分かりました。生山駅、4時55分。この駅でも客扱いはありましたが乗降客がいたかは不明。
 大阪発は22時27分。岡山発は2時24分。本当は7時間寝れる所をわずか2時間半しか寝れていないという驚愕の事実を目の当たりに。しっかり者のT君は慣れているのか、ちゃんと大阪駅から寝てました。
 根雨5時14分発。次は伯耆大山。だんだん明るくなってきたところで、乳白色に包まれた空が見えてきました。大山見えないなあ(当然)。
 やがて本日初めてのオルゴールが鳴り響く。ハイケンスのセレナーデ。もちろん国鉄そのもののオルゴールでした。灰皿にもJNRマーク。なんとも国鉄な列車でしたが、確か2004年頃を最後に設定がなくなりました。最後の年はDD51の通し運転で走りました。
 かつて大阪駅を西に向かってたて続きに出発し、在来線全盛期を思い起こさせる存在だったJR西のMLシリーズの中では、ML山陽とともに早い時点でなくなった列車でした。JR世代の私にかつての夜行列車の魅力の一端を教えてくれる生き証人たちでした。

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 伯耆大山で下車。5時44分。外は雨模様。すぐやってきたキハ47の5連に揺られ、大山寺駅で下車。しばらく駅撮り。キハ58の4連とか、キハ47と58の4連とかを撮影。その後キハ47に揺られて、移動。前夜の無理が祟り出雲は車内より軽く見る鉄。野太いDDのエンジン音だけはよく覚えています。
 天気悪いので長和瀬など風光明媚な撮影地はパス。宝木駅に落ち着きました。・・・しかもT君に判断丸投げという、非常にたちの悪い私でした。あの時は本当にありがとうございました(_)。
 その時の順向き1発目が上の写真。詳しいことは今一つ覚えていないですが、雨に濡れた雰囲気が撮りたくて縦位置で切り取りました。雨の中、か細い三脚に1台のカメラを載せ、タオルでくるんだカメラをしっかり手で握って、シャッターを切りました。


 現役バリバリの国鉄色キハ58による快速列車。当時復活塗り戻しでも何でもない国鉄色キハは山陰だけ、ということがよく言われていたと記憶しています。一貫して走り続けてきたものだけがまとう、現役という空気。そのインパクトは巨大でした。
 今だったら鳥取まで車で4時間もかからないので毎週のように通ってしまいそうですが、中学生だから2回だけ。しかもこの日のベストショットはこれだけといっていい状況です。
 でも、だからこそいっそういとおしいのかもしれません。


色違いのサーチライト [山陰]

 この日は地元の方々が各所からかき集めたサーチライトを使ってのライトアップ。ふもとの小学校から太鼓の音が響いていたのを思い出します。やはり地元にとって特別な存在であったであろう餘部鉄橋。この日はサーチライトをかき集めてのライトアップで、それに合わせてのことだったのかなと思っています。

 この時のライトアップは今までよりたくさんのサーチライトで多数の橋脚を照らすという触れ込みでしたが、1個だけ玉の色が違うやつで、向かって左側のだけオレンジ色のものでした。頑張って集められたんだなあ・・・と企画された方々の熱意を感じましたが、現場ではこいつをどうするか、少し悩んだのは事実です。

 お立ち台から降りてきて、そのライトに照らされた橋脚のたもとを通り過ぎようとした時、鉄橋の元々の色に近いオレンジ色だけにこの橋脚だけ撮ったらなかなかいいのかもしれないなあ・・・と思って三脚を立てて、おもむろに数枚、バルブしました。


2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部

 何枚か撮ってすぐ、ライトがパッと消えました。お祭りはこれでおしまい。



 100年間風雪に耐えてきた鉄橋について、この日はぼんやりイメージしていたものを撮れたような気がしています。


 餘部鉄橋そのものにはこの後にも数回行っていますが、この日は何となく印象深いです。

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