あのころの、「最後の冬」 [○大糸線]
あの時の名残がほとんど全て、去っていこうとしています。
先月、未明にDD16を追い、思いのほかあれから長くたってしまったことを思いました。
撮影地はすべて覚えていたけれど、ほとんど変わっていなかったけれど。
少し、振り返ってみたいと思います。
片貝の丘の山むこう、5年前の風景から。
2010.2.13 大糸線 根知-頸城大野
撮りにくい [○大糸線]
酒飲むと、不思議なほど想像力が膨らむ。いつもながら、面白いものだ・・・。
さて、この際、何か書いておくか・・・。
先週は大糸。といっても南線。クモユニ+115系6Bの運転。
やっぱり鉄が多いのは苦手。
東の国は、ただただ、人数が多い。だから、なおさら。
国元に帰っていつも言っていることだが、東の国では総じて、祖国・関西の3倍の人員が集まる。「ネタ」と言われるものが走るときであれば、ほぼいかなる時も。
そういう場に身を置くと、やはり、撮影は一人(せいぜい数人)静かに行うに限る・・・と強く思う。
優越感でも何でもない。よりよいものを自由に追求したい。そしてより良いものは、みなと同じものから生まれるとは必ずしも言えない。むしろ、画面が完全に画一化されていない風景撮りをしている者にとっては、そうではないことの方が結構あったりする。
何のために撮影に出ているか?いい写真撮りたい、いいシーンを押さえたい、みなそこから始まるというものだろう。だったらそれに誠心誠意、忠実でありたい。
私、享楽的な生き方は、好きではない。
やるのなら、よりよいものを目指したい。ただ、それだけである。
もっとも、私自身は、まだまだ未熟・・・。
ヒック。
イカン、飲みすぎかもしれない。こんな時間まで深酒していることからして・・・。
まあ、今日の記事は酔っ払いのたわごとということで、御了解願いたい。
さて、この場所で1日目。1本目を撮影。鉄ゼロだったので、ちょっとありがたかったかもしれない・・・。落ち着いて、考えることができた。
絵として完璧というわけではない。反省点がいくつかある。しかし、こういう状況だと、何か充実感が違う。
言い訳なしで、力を尽くした。だから、さっぱり反省して、次に活かせる、ような気が、私にはする。
2014.7.19 大糸線 信濃森上-白馬大池
春の淡雪 [○大糸線]
花粉症の人には朗報??多少色目がなかろうと寒いところの方が好きな私にも朗報??
もっとも、信越山線でラッセルが再稼働したりしているようではあります。
今年のあちらは小雪とはいえ、春また遠し、かな・・・。
長野に来まして、1年余り。南北に広く、外には「信濃の国」にもうたわれていますように「10州に境連ぬる国にして」でありまして、内は数多くの小国と人々がごっちゃまぜといった印象の土地ですが、写真を撮るものとしては、移動時間少なくして画面の変化を簡単につけられる、という大きな利点となります。
長野に赴任することになったのは本当に偶然でしたが、北陸、信越という、かねてからの主戦場の1つに容易に行けることはありがたいところかもしれません。
もっとも・・・非電化のキハは一通り置き換えが完了してしまっており、小海線と飯山線はキハ110、大糸北線はキハ120。ラッセルは大糸北線だけDD16が残っていますが、この冬の日中に稼働することはなかったようです。
今撮っているものというと電気系ばかり。4年前が懐かしく思い出されます。
2010.3.11 大糸線 北小谷-中土
朝、春の淡雪に彩られた静かな谷の中を、旅を感じさせるキハが1両、走り去る。
最終日前日。イメージに近い絵には、なりました。
沿線風景と、被写体のすばらしさゆえに、高校時代より通った大糸北線。もちろん、神戸の高校生~暇なし大学生のできる範囲なんて限りがあるものだから、諸先輩方と比べるべくもない程度だろうけれども、塗装変更から5年半、500キロかなたの憧れの星でありつづけてくれました。
そういえば、いかにも北陸の小都市という糸魚川に、姫川の断崖絶壁、そして信州の山里という感のする小谷、と20キロ強しかない区間で激しい変化をなすこの路線は、上にも書いたような「信州」らしさ、というものを、よく表した路線の一つなのかもしれません。
今こうやって長野にいて、撮影環境の変化だけは比較的スムーズに対応できたのも、あのころがあったからなのか、な・・・。
キハは消えども、得たものはあり。
「ダイヤ改正」は悲嘆にくれるほかないものではありますが、こういったこともある・・・失うものばかりではない。もしかしたら残せるものもあるのではないか、というように念じておきたいと、考えています。
雪だ、雪! [○大糸線]
週に1回は書きたいといいながら1カ月近く空いてますね。すみません(~~;)
今年は太平洋側で2回雪降りましたが、どちらとも出かけられず自宅におりました。まあ、仕方ないですね。たぶん1週間もすれば出かけられると思います。それまでは、ただ辛抱、辛抱・・・。
生活する上では迷惑この上ないけど、写真撮る上では絵になる雪です。南国で撮るのもいいけど、強烈に印象に残るのはやっぱり雪があるところ。撮るのが大変である分、そういう気持ちになるのか、どうなのか・・・?
雪国の冬というと、日が照っているかと思ったら一気に曇って雪が降る。それが数日続くと思ったらパァーと晴れ、見れば地平は白に埋められ、色がパターン化されるからごちゃごちゃしていなくて、まぶしくて、印象に強く突き刺さり・・・そして、キーンと冷え込んでいるから頭の中もどこか狭くなるような。
・・・このご時世だからこそ、「狭く」なる方が快感なのかもしれない・・・
やっぱり、いくら辛かろうと、行きたくなります。撮る者としては、やはり雪の中で撮るのは快感です。言葉通り、夢中になれます。
ということで、今日は雪の日の思い出から。サイトに出した写真だから見覚えのある方はいらっしゃるかもしれませんが・・・。
2010.2.21 大糸線 頚城大野―根知 撮影:管理人
大糸線のキハ52です。最後の冬には集中的に行きました。地元でずっと見守ってきた雷鳥もこの冬でほぼ引退という時でしたが、結果として撮りたいカットが多いこちらに集中していました。
紀勢西線で撮影してから前日の大阪発の急行「きたぐに」に乗車して糸魚川へ。当日の糸魚川駅でKさんに拾ってもらって始発から各所で撮ったのち、撮影地へ。
林道の路面はがちがちに凍結していたけれど、Kさんは初めてにも関わらず突撃してくださいました。さすがです。そうとはいっても、助手席で座る私も前方注視。緊張感たっぷりです。
止め位置からカンジキ履いて山の中へ。そして、視界が一気に広がりました。
気温が上がり、頭の上でぼたぼたと雪が落ちてくる中、構えることしばらく、根知駅を発車する列車のタイフォンが山々にこだまする。斜面に張り付く20人ほどに緊張が走る5分ほどを経て、足元をゆっくりとゴーニが滑り降りてくる・・・。
前日の紀勢西線での撮影も印象の濃いものでしたが、その翌日だったことはすっかり忘れていました。備忘録を残していたから思いだせました。数年前のことなのですが、人間というものはそんなものなのかもしれません。でも遠い山々まで澄み切ったこの風景は、今でも忘れられないです。
ああ、あのような冬、あのような風景に、また会いに行きたい!色んな写真家の方が思い思いに書いておられますことと何ら変わりはありませんが、やはり雪国の冬にはロマンがあります。
キハ52 156先頭の3連 [○大糸線]
とはいっても、自然を取り込みたいというポリシーは一貫させたい所。やはり6月の晴れだから生気いっぱいの緑を入れたい所だと考えた。そこでヨコ位置が大半の中で一人タテ位置で切り込み、緑を画面の2/3ぐらい入れてみた。あと鉄橋の右端を入れるか悩んだが、カーブの奥で切ることにして、カットした。
そして、ここは制限25キロの急カーブ上の鉄橋だから、切り位置は吟味できる。定時、ゆっくりと鉄橋を渡ってきたところで1枚、シャッターを切った。半逆光にきらめく緑と、ディーゼルエンジンの紫煙が印象的だった。
2005年6月19日 大糸線 中土-北小谷
糸魚川のキハ52系3兄弟は、生まれてこの方一度も北陸を離れたことがなかった車両たちだったと記憶しているが、この時の撮影から5年たって最後の時がやってきた。そして3両とも離れ離れとなった。長男115は岡山県津山市で静かに眠っている。1回見に行ったが独り見知らぬ土地にやって来たものだからどこか寂しそうな感じがした。でも今は顔なじみのカネゴンことDD15が来たからそうでもない?
一番元気だった二男125には新たな活躍の場が与えられた。塗装は赤ツートンに変わってこれまでゴーニが配属されたことのなかった房総の地で余生を送ることになった。イメージは合わないが、キハ20と52はやはり違う。1両だけでもかろうじて生き残ってくれてよかったと思っている。
さて、一番病弱だった三男156はwikiによると地元糸魚川市に寄贈という話が出ているらしい。糸魚川小学校前には大糸線で活躍したC12がきれいに保存されているので静態保存するにしてもちゃんとやってくれそうな気もするが、さてどうなることやら・・・(2011.8.24追記・・・糸魚川市が156を譲り受けて煉瓦庫の一部とともにモニュメントとして展示するとの報道がなされたようです)。
それでも、晴れることだってある [○大糸線]
そそくさと数メートル移動、レンズを広角に付け替えて後打ちを狙いました。
フツーの撮影地で後うち撮っても全然面白みはありませんが、撮影地によっては違うアングルが提供されることもあり。まさに、この場所はそう。後ろを振り返れば、先日ダム越しに撮った直線部分が見えるのです。しかも、第5鉄橋は徐行で通過なので、時間はある!
2005年6月19日 大糸線 中土-北小谷
まあ、今だったらもう少し上に振るか、もう少し離れて撮るかなあ(汗)。
でも、鮮烈な6月の緑と国鉄色とを撮れてよかったです。
キハ52+58@大糸線 [○大糸線]
昔々はDD16のラッセル試運転までHPで公開するほどファンに寛大だった糸魚川地域鉄道部だけに、キハ58+52やキハ58のイベント列車を走らせたりするほか、国鉄色キハ58の定期列車代走も事前公開したりと大盤振る舞いでした。
この日はキハ58+28+52(タラコ)でした。大糸線内のみキハ52増結で北陸線内はキハ58+28で走りました。
この日は大糸線3回目でしたが、撮影地知識は今から考えたら大したことないレベル。定番の河原からの撮影です。
鉄橋に3両ギリギリ載るぐらい・・・と分かっていたので、あれこれアングルを工夫。この時はタテ、という結論としました。
さて、ここまでは天気は順調だったのですが、だんだん雲が増えてきて・・・結局、少し露出が低下した状態で通過していきました。しかも、直前に風が立って水鏡ならず。ちょっと中途半端に終わっちゃいました。
まあ、よくあることなんだけどね・・・。
2005年 6月19日 大糸線 北小谷-中土
大糸線でキハ58先頭の列車撮れたのは、この時と去年の定期代走だけです。しかも、2本目はフィルム残量確認忘れで撮影中に巻き戻し・・・。数少ないカットなので出させて下さいね(苦笑)。
また富山の国鉄色ゴハチが走ってくれないかなあということばかり考えてます。
ダム湖沿いをゆく [○大糸線]
ご存じのことと思いますが、当時はツートン(キハ52 115)とタラコ(キハ52 156)だけが国鉄色。キハ52 125はまだ越美北線時代に採用された白色に緑のストライプというカラーリングでした。スカ君よりよっぽど目立ったのでこのままの方が撮り鉄的にはマシだったかも・・・。
とはいえ、白でもそこまで本気撮りする対象でもなく、お遊びカットにお付き合い願うことが多かったような気がします。
この日もしかり。9時台のスジは125だったのでちょっと変なことしてました。
第5鉄橋の裏側はダムがありますが、第5鉄橋の方に入っていく旧国道上から見ると、ダムの堤防の向こうに線路が見えるなあ、と気付きました。まあ白だし、一緒に入れてみるか・・・ということで1枚撮影。
姫川沿いを走る大糸線、発電所も多くココが第3発電所です。ちなみに有名な小滝のは第6。昔々大糸線に乗った時、この発電所の多さには目を引いた覚えがあります。
後で考えたら、大糸北線でダム湖の水面と一緒に撮れる所ってここだけだったかもしれません。この日は水面に山の緑が写り込んで何とも言えない色でした。この場所ではこの日しか撮影してませんが、意外とよかったのかも・・・と思ってます。
2005年6月19日 大糸線 中土-北小谷
梅雨時の晴れ間 [○大糸線]
むしろどんどん暑くなっていく5月の方が辛くて、体もよく壊しました。小さい頃はあまり5月のいい思い出がありません。
よくよく考えたら、晴れろー晴れろーとか言い出したのは写真撮るようになってから。人間って何とも自分勝手なもんです。
写真撮るようになってからは天気にうるさくなりました。先日出した鵜川の写真も、翌日晴れ予報の大糸への移動中だから撮ってるというわけです。ここ10年見返しても、ついで撮りはあっても雨の日にわざわざ撮影に行っている日は皆無ではないかと・・・。
ちょっと考え直した方がいいのかなと思う今日この頃。雨の日も、味わいがあっていいものですよね。
そうは言うものの、ずっと天気悪いのが続く中でパッと晴れ間が見えて日が射すとこれがまた気持ちいいのでやはりいいですよね。そういう日に撮影に行けると何とも幸せです。
緑は濃く生き生きと。空はさわやかに、透き通るがごとく青く、そして、雨上がりだと湿気がぬけてどことなく涼しくて・・・。
先日の写真を撮った翌日の大糸では、午前中だけながら晴れに恵まれました。スカッと晴れ渡るところまでは行きませんでしたが、何枚かご紹介・・・。
夜、現地着、泊。翌朝、南小谷は宮本の諏訪神社前のスノーシェッドへ。ここは定番地ですね・・・。昨年の2月にも大入りでしたが、この時もたくさんおいでだったと記憶しております。
場所は神社の前を横切る細い道。森の中みたいなものなので、どこかひんやりとして、むしろ寒いぐらい。でも軽く漂う湿り気を帯びた空気が心地よい。でも望遠レンズで遠くをのぞけば、ちょっと弱いながらも朝日が射してどこかあたたかい感じ。これが山里の朝、といった感じなのかなあ。
定時、踏切の警報機の音。2機のDMH17Hエンジンの重々しい唸りが、朝の空気を破り、そしてすぐにスノーシェッドの奥でツートンが顔を出しました。そして、ただ1発だけ、シャッターを切りました。
2005年6月19日 大糸線 南小谷―中土
緑の季節 [○大糸線]
2日前に至ってはあれこれウダウダと書いておりましたが、まあそういうときは大抵くたばってる時なので、気に食わん方々はさらっと流して下さいね。世の中、価値観いろいろ。私はいろんな考えがあってよいと思っていますので、念のため。
さあて、何出そうかな・・・。大糸の写真でも出そうかな。
朝から窓辺で雑務こなしてると、濃くはなってきているものの今なお若々しさがある木々の葉が太陽光で輝いて見えました。こういうのを見ると、やはりあちらを思い出してしまいます。どの季節に訪れても大糸線は鮮烈な印象を与えてくれますが、やはり私にとっては5月6月の緑が非常に印象深いようです。
2009年5月2日 大糸線 中土-北小谷
GW需要で12連満席のきたぐにに乗車して、現地入り。今年はやや乗車率低めだったらしいですがこの時は自由席の通路にたくさんの人が座り込んでいました。
いつも以上に体力的につらい夜行列車の旅の末、ようやくついた大糸線。新緑は美しい!けれど、なんでこーいうときに限って青君と手組んでツートンが走ってるんかねえ・・・。まあ事前に分かってたけどあきらめて行きました。
そして、この翌週は例のごとく風邪ひいて撃沈。何やってるんだか・・・。
大糸にもうゴーニは走ってないけど、急行きたぐにに飛び乗ってまたどこかに行きたくなります。やっぱりこの季節だから。