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山また山越えて [○北陸本線]

 朝から野犬に追っかけまわされて、逃げてたりしたけど、

 この頃はまだのんびりしていたからか、地元の方も「よう来た」と言う感じでした。

 今日はついで撮りの521。新車としては好みだからいいんだけど、419とかでなぜもう少しちゃんと撮らなかったのか・・・と。

 でも、そういうことは分かっているのだから、今走っているものはきちんと撮らなければ。めんどくさいけど。



2009.8.24 北陸本線 敦賀‐新疋田


 この週末は地元で課題片付ける予定だったけど、天気が許してくれませんでした。

 ああ、ますます故郷が遠くなる気がして、ならない。


 ああ、「ちくま」、「きたぐに」があれば、帰るのも簡単なのに・・・。



 地元で115を少し撮ってこの週末は終了、の予感です。



タグ:521系
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気が付いたら [○北陸本線]

 お盆休み、関西周辺で何か撮ってやる!と思ってたのですが、相変わらずの寝太郎生活。そして夜は飲み会。

 課題はたくさんあるのですが、いざ帰ってしまうと緊張が弛緩しきってしまうらしく。普段は少食ですが、帰ったらよく食べるし。

 

 そんなこんなで帰省期間が終わってしまい、東へ。

 さすがに何もせずは、と思い、少し進路を北へ。倶利伽羅や親不知で北越やら475やらを撮って、夕方は少し大糸線で撮って、また長野に戻ってきました。



 富山でも呉西はかなりひさびさの訪問でした。高岡にキハ53がかろうじて生き残っていた2005年以来なので、8年ぶりですか。夜行三連発が予想より早く解消し、集中的に撮るタイミングを逸してしまったのが大きいところです。

 そうとは言っても、昔から撮っている地域は、何かいいですね。もう少し撮りに行きたいところです。

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 そういう感じなので、急行「能登」でも。

 ポールの処理が今一つ難しいこの場所(下段側)、ベストではないですが、ここでのカットはこの1枚だけになってしまいました。



2004.8.8北陸本線 石動‐倶利伽羅


 りりしく国鉄特急色をまとった489系が走るようになったのがこの数年前。それまでは白山色だったので今一つ魅力を感じる列車ではありませんでした。夜行3本、というと今でこそすごいように感じますが、本数だけで考えると、当時は山崎だって「きたぐに」「日本海2号」「銀河」「ちくま」「日本海4号」でした。逆側からも「彗星・あかつき」に「なは」です。しかも、富山界隈の線路は東から西へ、つまり基本的に逆光。撮りにくいことこの上ない。

 そういう状況でしたが、北陸特急から姿を消したボンネット(しかも原形)の国鉄色登場となると、それだけで撮りに行く価値あり、その上に寝台が2本、なら注目度急上昇という風になりました。

 今では考えられないですが、日本海2号や北陸はついで撮りというイメージだったと思います。

 私も当時としては積極的に撮りに行っていました。激山ご来迎の常願寺川堤防に鉄が大集結、なんて日もありました。

 

 そんなことを思い出しながら、木陰でカメラを構えて「北越」や急行色475系を撮っておりました。

 あれから10年近いのにまだ何とか生き残っている彼らを見ていると、本当に不思議な気持ちがしました。そもそも、たった4年前の今頃も、このようなシーンを見れたのですよね。



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夕暮れ時 [○北陸本線]

 なんで続けているのか、時々よくわからなくなる。この趣味のこと。

 撮り始めてからの12年の間に走り去ったもの数多し。そのことだけに惑わされるなと思いつつも、その残党を追っかけているのが、目下の現状だもんね(苦笑)。

 でも、たまにこういう場面に出会うと、まだやっていけるのかもと思える。

 日々しんどいこと多いけど、出来る限り頑張ります。





 湿気をまとった、肌にまとわりついてくる空気が、だんだんひんやりしたものに変わってきた。
 そして、水平線付近に垂れこめている、最初は邪魔にしか思えなかった雲が、光を阻んで、思いのほか空の色を不思議な青に染め始めた。
 その時に流れた暖色系の光の帯に、何か懐かしさを感じた。

 


2013年5月14日 北陸本線 有間川駅


 まあ、赤はくたかも、あと2年ですけどね(苦笑)。

 車両を大写しにするのも一つの考え方。愛着の表れというもの。でも、私はこういう場所で悦に浸ってるのも、好き。

 辞めたくなったこと数知れずだけど、だから続けているんだろうな、と、最近おぼろげながら思うようになりました。

 
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この日の真打ち [○北陸本線]

 同じ構図3連発でスンマセン・・・。ちょっと最近疲れてるので、少し手抜き(汗)。


2009年5月20日 北陸本線 敦賀-新疋田

 今年の春に御引退あそばされたH01様、集約臨で活躍中の1シーン。



 10年前ボンの特急を撮っていた時、まさか2011年まで走っているとは思ってもいませんでした。最後のお見送りには行かなかったけれど、長い間、お疲れさまでした!


密かにこれもお楽しみでした [○北陸本線]

 湖西線系統で一番賑やかなのは朝方。今はどうだったっけ?ちゃんと分かってないですが、高速1000円がらみで減便減車になる前は、サンダーバード6号は必ず12連で来ていました。

 まあトイレのフタ・・・という意見もありますが、私から見れば681系の非貫通なんて西にしてはデザイン的によくできている方だと思います。白の車体だから風景に埋没することもないし、撮りやすいです。それが12連を組んでくるなら、まだまだ北陸線は鉄道としてのPowerがある!と感じられるというものです。



2009年5月20日 北陸本線 敦賀―新疋田

 北陸新幹線開業後にどんな変化が来るか想像もつかないので、こいつも国鉄型のついでかもしれないけれど撮っていきたいと思っています。まあ、ヨンダーはさすがに撮る気しないけど・・・。


鳩原周辺の山は、今頃ちょっと不思議な色が、ぽつぽつと [○北陸本線]

 毎日書きたいんだけど・・・、どうも辛い日々が続いています。でも、毎日80人ぐらいの方々が見に来られている、という事実はとても励みになっています。どういう趣向の方々が見ておられるのか、今一つ分かってないのですが、それはともかく、ありがとうございます。



 5月下旬というと緑ますます濃くなり、入梅前でバリ晴れ続き!なシーズンのはずなんですが、今日の関西は大雨。そういえば最近の天気はさっぱり晴れないし、黄砂もムンムン。どうなってるんでしょうね。
 今の雑務が一つ片付いたら大々的に出かけてやるぞーという野望はあるんですが、このまま梅雨入りだったらお話にならんです↓↓



 さて、新緑・・・といっていいのか分かりませんが、5月下旬の鳩原周辺の山々は樹種の関係か黄色っぽい色の木々がぽつぽつとみられます。これが面白かったのもあり、2009年、2010年と連続でこの時期にこの辺りへ出撃しました。丁度ボンの集約臨が走るシーズンなので、メインの被写体はそれでした。


2009年5月20日 北陸本線 敦賀―新疋田

 ボンの集約臨が走ったこの日、休みは確保できたのでとりあえず出撃!朝から山に登り、まず狙うは雷鳥4号。
 この年の3月改正から10月改正までの短い期間でしたが雷鳥4号は非パノ先頭の運用に変更され、以前よりいっそう車体を輝かせて走る姿を見ることができました。
 そうなるとわかって1番最初に思いついたはこの場所。パノ代走に当たることが多くなかなか狙えなかっただけに、この日はこれも撮れてV!でありました。


新疋田こそ「特急街道」の聖地 [○北陸本線]

 時は21世紀なりたての頃、撮り鉄を始めてあまり間もない不肖管理人、少ない撮影回数をほとんど北陸特急の撮影に使っていました。



 当時は撮るものが日本中にあふれかえっていましたし、RF、RMとも素晴らしい写真がたくさん出ておりました。

 そのような時代に写真を撮り始めることができて、今から思えば幸せでしたが、しかし中学生程度では石見ライナー撮りたいとか石北貨物撮りたいとか欲望ばかりは渦巻くけれどどれも遠すぎてドタイ無理な話。



 一方、新疋田とかなら何とか行けました。しかも、10分に1本「しらさぎ」、「加越」、「雷鳥」がやってくる!下手な鉄砲でもたまには当たるもんでしょう・・・。

 まあ、初心者レベルですしフィルムの時代ですからその場で上がりを見てアングル調整、なんて技が利きませんでしたし、中学生の私は鉄としての要領もよくありませんでした。なかなかうまくなりませんでしたが、1枚お目にかけようかと。





2001年7月 北陸本線 敦賀―新疋田


 

 新疋田はこのカーブ以外にも撮影地が多く、1日中楽しめました。やってくるのはほとんど国鉄色特急。ボンネットも多数。カッコよかったなー。



 できるものなら、またあの頃に戻って今の腕と知識と機材とで撮ってみたいです。



新疋田駅端にて [○北陸本線]

 風景ばっかり撮っている私ですが、時々編成撮りしたくなることもあります。やっぱり編成撮りでないと肌で感じれないものがありますし、何と言っても一番「分かりやすい」表現方法でしょう。



 この日は列車移動で新疋田着。この界隈にはよく出没しているものの車で行くことが多く、新疋田駅に降り立ったこと自体が2002年冬の臨時しらさぎ(この日はH04御登場で大興奮でした)以来という状態でした。

 降り立った時の感想は、駅ホームがきれいになっていたり上屋ができてたり駅舎がきれいになっていたり・・・でひたすら驚くしかない、というものでした。それだけ年取ったということでしょうか。



 パノ代走の雷鳥4号などで試し切りしつつ、アングルを調整。この日は無事ローピンで御登場。編成屋さんから見ればヌルい写真かもしれませんが、1枚。一応、今はなきローピンの二ケタ釜であります。このころまではトワ釜なんて気にしなくてよかったものですから、なんだかんだ言っていい時代だったのかも・・・。







2009年5月19日 北陸本線 新疋田駅


 思えば、なんで高校生の時にここで日本海4号撮らなかったんだろう・・・。日本海4号はほぼ白帯貫通の編成でしたから、今の編成より統一感がありましたし釜次位がカニだったので重量感がありました。撮っとくんだったなあ・・・。今から考えると、昔ってぬるいことばっかりしています。



 でも、そういう「ああすりゃ・・・」という積み重ねが今の行動力につながっている、と信じたいです。



国境の集落より [○北陸本線]

 たまたま休みをGetできた金曜日。あまるべマリンの回送を狙いに行くつもりでしたがどうも天気予報が微妙。とりあえず湖西線に向かいました。この辺りは完全なる馬鹿の一つ覚え。大糸でもよかったろうに・・・たぶん機材購入で資金難だったのでしょう。そう解釈したいと思います。

 結局、微妙にいい予報だったはずの湖西も朝から曇り基調。近江中庄近辺で12号までロケハン半分で撮った後、列車で移動。延々歩いて撮影地を目指しました。

 雷鳥好きな人は編成撮りの人が多かったですが、私は一貫して風景撮り。こういう撮影地が好みでした。逆に言うと、他の鉄な方々と会う機会は最後まで多くありませんでした。





 さすがにこの時期になってくると背丈を超える草が伸び放題。足場も悪く、滑りそうになりながらもなんとか立ち位置へ。そうして見渡す風景は、基本は見慣れた光景だけど前来た時より緑が一段と濃くなり、やはり素晴らしい。これで晴れてたらなあ。





 さて、この日は13号16号を捨てて列車で移動して来たので、幸か不幸か時間がたっぷりありました。じっくりアングルを定め列車を待つこととしようか。そう思ってゲバを立てていると、見る間に背後から青空が広がり、いつしか撮影地周辺は完全に晴れ渡りました。緑はやはり晴れ渡ってこそ美しい。やっぱりいいなあ・・・。





 しばらくサンダーやしらさぎで試し切りすること40分余り、聞きなれた接近警報音とともに現れた雷鳥17号をここぞというところで切り取りました。

 





2009年 5月15日 北陸本線 近江塩津-新疋田




 結局あまるべマリンは山陰線内は普通にいい天気だったようで、何と言っていいやら。でも私は地元重視ですから、これでよし。

 それにしても、これが事実上最後の初夏になるとは思わなかった・・・。

ループを巻く、長大編成 [○北陸本線]

 EF510は釜としてカッコイイ(特に赤。北斗星も私的には赤でやってほしかった)と思いますが、ここまで一気にパイチを置き換えるとなると複雑。



 でも登場したのは確か2002年。それから10年近くかけて過酷な使用環境に耐えるか慎重を期して使い続け、新製したらすぐパイチ置き換えというようにはしなかったのでしょうね。今まであれだけパイチが残ってきた方が凄いのかもしれません。

 EF510、昔から好きではあったので昔から気合い入れて撮っていました。長い間こちらの日中の列車にはあまり入っていませんでしたが、2008年3月改正に朝方の貨物1本が赤いパイチ(たしか長岡の釜だったと思うのですが・・・記憶があいまいです)からEF510に変わりました。確かこれで2本目。置き換えのスピードはこちらが油断するほどゆっくりでした。

 富機の釜と比べたら悪いくらい、いつもピカピカだった赤パイチも好きでしたが、こいつも登場当初から結構魅力的に見えました。国鉄型消えたらこれメインもありかなーとか思ったりもしています。



2008年8月12日 北陸本線 敦賀―新疋田

 大伐採されて撮りやすくなって間もない夏に、ループ線俯瞰に登頂。
 この撮影地、私はいつも縦位置メインで撮ります。この方が立体感が出ると思うからです。特にこれくらい長いと構図が締まると思っています。
 雷鳥4号、サンダー12連、雷鳥8号、日本海と立て続けに重要列車がやってくるゴールデンタイムにやってくるこの列車、もちろんこれも必須課題!気合い入れて一撃必撮。


 今は深坂越えの鉄路も雷鳥がなくなって少しばかり寂しくなりましたね・・・。


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