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湿り気が似合う街並みと [○芸備線]

 各所に厳しい速度制限があることもあってか、車で軽々と追い抜くことができてしまいました。これだと鉄道が衰退するだろうなあ・・・。


 さて、意図せず追い抜いてしまったもののこの先の撮影地について全く検討を加えておらず、とりあえず庄原までの国道沿いでいいところがないか、車から外を注視・・・。

 そして、国道からふと見えた光景がとても気になったのですぐ決定。先行5分弱だったかな。何とか即興でアングルを整えて撮ることができました。


 古い街並みが雨と湿気を吸って不思議な雰囲気を出していました。


2007年6月10日 芸備線 備後西城-平子

 昔々はたたら製鉄でつくられた和鉄の集散地として栄えたという西城。西洋式の製鉄(八幡製鉄所とか)が盛んでなかった明治20年代までは、この辺り一帯で全国一の生産量を誇ったとか。
 そんな西城の旧市街の町並みは、古い町としての雰囲気を保っていました。


ひっそりと [○芸備線]

 芸備線末端の有名撮影地といえば、備後落合-道後山間にある第一小鳥原(ひととばら)鉄橋と、比婆山-備後落合間にある烏帽子橋梁でしょう。
 備後落合にキハ58撮りに行くとなって、是非行きたいと思っていた場所です。


 キハ58の発車に先立つこと20分ほど。行ってみると、本当に秘境感ただよう山中に、ひっそりと赤い鉄橋がありました。撮影地は交通量の少ない国道の隅。



 ひんやりどころか、少し寒いぐらいでした。



 深い森の中、淵の水の深い青、それに映る緑、そして川の流れる音。ただそれだけ。



 車で少し行けば川沿いのわずかな平地とともに民家があったりしますが、本当に静かでした。



 新緑、紅葉、そして雪の時はいかばかりだろう・・・そんなことを今でも思ったりします。


2007年6月10日 芸備線 比婆山-備後落合

 制限25キロの小さな鉄橋を、キハ58はゆっくりと渡っていきました。


目覚めの朝 [○芸備線]

 備後落合駅での見せ場は、駐泊所で寝ておられた運転士殿が起きて来られて、機関を始動するところ。

 運転台に入って、尾灯とヘッドライト点灯、そしてエンジンを暖気します。

 

 豪快なエンジン音が、山中に響き渡り、煙がばーと上がりました。

 

 キハ58、今日1日の仕事の始まりです。




2007年6月10日 芸備線 備後落合駅



急行列車の証 [○芸備線]

 日本最後のキハ58系急行だった急行「みよし」。末期は三次-備後落合間を普通列車として備後落合まで運転されていましたが、サボ類は取り外されずそのまま走っていました。備後落合でも急行サボが見れました。



 なんてことない写真ですが、「最後」ですし、それも備後落合に来ていたのですから・・・。



 軽く濡れた、少し年季の入ったサボの写真を見ると、撮っていた時の感覚を思い出します。











2枚とも 2007年6月10日 芸備線 備後落合駅



発車確認 [○芸備線]

 発車合図のブザーを鳴らす前に、
 「確認」
 「通票よいか」
 「信号よいか」
 「旅客よいか」


 かつてたくさんの人の手により、ローテクな方法で鉄路の安全が守られていた時代の名残。

 見上げてみれば、ホームの上屋は、小さいながらもまさに鉄道の拠点という風格に満ちたものだった。




2007年6月10日 芸備線 備後落合駅


駅の看板  [○芸備線]

 山奥のジャンクション。


 かつては駅の裏手にたくさんの線路があって蒸気機関車たむろしていたそうです。



 行ってみるとホームの近くに錆びついた線路が僅かに残っていましたが、ほとんど自然に還っていました。
 

 駅名入りの看板もワクがさびついて、この駅の雰囲気も相まってどこかさびしげ。


2007年6月10日 芸備線 備後落合駅


霧に煙る、備後落合 [○芸備線]

 4年前の今頃というと、突如急行「みよし」の廃止発表が出てあわてていた覚えがあります。

 まあ、浪人中だったのですが、例のごとく出撃!



 急行「みよし」はキハ58系を使用した最後の急行列車。広島―三次間を4往復していました。さらに歴史的いきさつもありみよし1,6号は備後落合まで普通列車として延長運転されていました。三次-備後落合間は撮影地的にも気になるところが多数あるうえに、芸備線末端区間は鉄道ファンにとって非常に注目すべき所であるため、是非行ってみたかったところです。

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※歴史的いきさつ

 芸備線は国鉄時代はまさに急行列車街道。備後落合から木次線に入って松江など山陰側の都市を目指す「ちどり」や新見方面に向かう「たいしゃく」「やまのゆ」が走っていたことが当時の時刻表からみてとれます(交通公社時刻表1977年10月号を参照)。珍しいのは夜行「ちどり」があったことで、さらに夜間に着く「ちどり」と他方面の列車乗り継ぎのための宿まで駅前にあったということです。蒸気機関車の時代は小さいながらも機関車の駐泊所があったそうで、C56やC58などが多数駐機している様子を写した写真が残っています。

 しかし新幹線ができて松江や米子へのメインルートが伯備線になり、さらに赤字ローカル線の問題がクローズアップされた1980年ころから列車本数の削減が続きました。急行列車運転区間の末端部での普通列車化に始まり、列車本数削減、両数削減、運転区間を広島-三次間に絞った「みよし」の新設などが続いてJR化を迎えました。

 JR化直後に「ちどり」と「たいしゃく」は備後落合止になりました。その後も「ちどり」は木次線の、「たいしゃく」は新見方面の普通列車との連絡を行ったため列車名は維持されていましたが、その後備後落合行き「ちどり」と広島行き「たいしゃく」は備後庄原-備後落合が普通列車に格下げされました。

 そして2002年3月に急行列車は全て「みよし」に統合され、急行列車は広島-三次間のみになりました。ここにかつての急行列車の名前が消え、備後落合に出入りする急行列車も消えました。同時に備後落合まで急行型で走る列車も削減され、朝晩に1本ずつあるのみとなりました。

 かつては急行列車が多数走り、芸備線と木次線がつながる山あいの鉄道拠点だった備後落合ですが、陰陽連絡の機能を果たしていたのは遠い昔。その名残すら時がたつにつれ薄れていき、いまや普通列車すら僅かに走るのみ(芸備線備後落合以西は7往復ながら、備後落合以東と木次線は3往復!)の、全国有数の超ローカルな駅となってしまいました。またJR西日本は必要最低限の保守費用しか出さず、この辺りの路線は線路の保守も最低限にとどめられ、少し急なカーブとなれば最徐行での通過を強いられる状態となっていますし、月二日は線路工事を日中にするため昼間の列車が運休となります。

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 2007年時点での、広島区所属のキハ58の運用は広島-三次間の急行列車4往復、間合い運用の普通列車1.5往復、それに三次-備後落合間に急行列車崩れの普通列車1往復でした。

 中国山地の奥深くで、上のような歴史的いきさつも相まってどこか不気味な魅力を発する備後落合。かねてから是非行ってみたかったのですが、事実上1日1本ではなかなか行く勇気が出ず、一方広島ー三次間は急行列車4往復とはいっても撮影地的にあまり期待できない…ということで延ばし延ばしになってしまい、結局廃止直前となってしまいました。しかし、さすがに1回は行っておきたいということで、サイトの管理人殿と車で行きました。まずは早朝から備後落合へ。



 備後落合は想像以上に遠かったです。新見まで3時間ほど。そこからさらに東城にでて、霧に煙る山中の国道を駆け抜け、駆け抜け・・・、時々思い出したように現れる集落はひっそりとしたたたずまいで、どこか怖さすら感じさせるものがありました。

 そして、人気をまるで感じさせない山中に忽然と「←備後落合駅」の看板が現れました。目的地です。大阪から4時間半・・・。



 扉を開ければ山の中のひんやりした湿気が体をまといました。上を見れば夜は明けているものの、山の上は霧に煙り、生命力旺盛な6月の深緑は朝露に濡れて一層怪しげなものを感じさせました。駅に入れば草蒸したかつての駅構内、錆びついた線路や駅の看板が、栄えていた過去を無言で伝えてくれました。

 そんな中に、前夜に広島からやってきて駐泊しているキハ58はまさしく過去の生き証人といった存在。しかし、キハ58の同線での活躍も6月末まで。最後を告げるHMをつけて、佇んでおりました。





2007年6月10日 芸備線 備後落合駅


 ラストランまで1カ月を切っていただけに、同業者が数名いらっしゃいました。それにしても、備後落合の雰囲気はやはり「濃かった」です。無理してでも高校生の頃に行っとくんだったなあ・・・と非常に後悔したのを思い出します。



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