雷鳥引退に寄せて [○北陸本線]
北陸特急として最大の本数を誇ったのが485系雷鳥。私は幼いころから踏切で雷鳥を見続けて育ちました。国鉄は生まれたころにはすでに影も形もありませんでしたが、本線上を走っている車両がほとんどが国鉄型だった時代でした。その中でも、雷鳥は一番輝いていました。自然、撮り始めたのも北陸特急。
撮り始めたころは、今から見れば国鉄型が日本中にあふれかえっていた時代でしたが、年齢的な制約もあり、主に東海道本線、湖西線、北陸線で国鉄色485の姿を一貫して狙い続けてきました。
相手は遅くても大抵90キロ以上、最高で130キロで走る被写体。特に湖西線といえば日本有数の高速新線。中高生の頃、連写できないフィルム機(EOSkiss3)で一撃必撮するのは集中力が要り、大変でした。しかし、それだけに思い通りの切り位置で撮れるようになった時は本当にうれしかったです。
思い出は数えだすときりがないです。雷鳥は、まさしく私の写真趣味人生を共にしてきた列車です。でも、今月で1往復だけ残っていた列車が引退していきます。
約10年間同じものを撮り続けられて、本当に幸せでした。さようなら・・・。
撮り始めたころは、今から見れば国鉄型が日本中にあふれかえっていた時代でしたが、年齢的な制約もあり、主に東海道本線、湖西線、北陸線で国鉄色485の姿を一貫して狙い続けてきました。
相手は遅くても大抵90キロ以上、最高で130キロで走る被写体。特に湖西線といえば日本有数の高速新線。中高生の頃、連写できないフィルム機(EOSkiss3)で一撃必撮するのは集中力が要り、大変でした。しかし、それだけに思い通りの切り位置で撮れるようになった時は本当にうれしかったです。
思い出は数えだすときりがないです。雷鳥は、まさしく私の写真趣味人生を共にしてきた列車です。でも、今月で1往復だけ残っていた列車が引退していきます。
約10年間同じものを撮り続けられて、本当に幸せでした。さようなら・・・。
2008年 1月25日 北陸本線 湯尾-南条
2011-03-04 21:21
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