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夕暮れ時の峠道 [紀勢]



2011年6月25日 紀勢本線 梅ヶ谷-紀伊長島

 梅雨の中休み。原色1805号機充当を確認し、出撃。


 夕暮れ時の東紀州の峠道。20分前から一気に影が押し寄せてきた。そしてディーゼルエンジンの咆哮がかすかに聞こえてきた。この日は随分と遠くから響き渡っていた。
 露出を再確認してレリーズに手をかけて間もなく、紅い「エネルギーの塊」が姿を現した。


色違いのサーチライト [山陰]

 この日は地元の方々が各所からかき集めたサーチライトを使ってのライトアップ。ふもとの小学校から太鼓の音が響いていたのを思い出します。やはり地元にとって特別な存在であったであろう餘部鉄橋。この日はサーチライトをかき集めてのライトアップで、それに合わせてのことだったのかなと思っています。

 この時のライトアップは今までよりたくさんのサーチライトで多数の橋脚を照らすという触れ込みでしたが、1個だけ玉の色が違うやつで、向かって左側のだけオレンジ色のものでした。頑張って集められたんだなあ・・・と企画された方々の熱意を感じましたが、現場ではこいつをどうするか、少し悩んだのは事実です。

 お立ち台から降りてきて、そのライトに照らされた橋脚のたもとを通り過ぎようとした時、鉄橋の元々の色に近いオレンジ色だけにこの橋脚だけ撮ったらなかなかいいのかもしれないなあ・・・と思って三脚を立てて、おもむろに数枚、バルブしました。


2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部

 何枚か撮ってすぐ、ライトがパッと消えました。お祭りはこれでおしまい。



 100年間風雪に耐えてきた鉄橋について、この日はぼんやりイメージしていたものを撮れたような気がしています。


 餘部鉄橋そのものにはこの後にも数回行っていますが、この日は何となく印象深いです。

最終列車  [山陰]

 餘部鉄橋を夜間に通る列車は存外少なく、急行「だいせん」や「出雲」がない状況下ではわずか3本でした。
 22時過ぎ、はまかぜ5号の通過です。これが「だいせん」廃止以降、この界隈の最終列車となっています。
 「だいせん」の通過は深夜で、高校時代にT君(=よさんこさん)が竹野駅での交換やら餘部鉄橋での光跡流しにトライされていたのを思い出します。


 地元の企画で、この日は橋脚7本をライトアップするというものでした。それまでよりずっと照らされる範囲が広い、ということで同行のサイト管理人の気合いの入り方はただならぬものでした。

 主だった橋脚は全て浮き上がり、さらに浜坂方面への通過列車となるとお立ち台しかなかろうと、先ほどの撮影地から歩いて移動。
 着いてみるとお立ち台には同業者のほか、テレビ局の方まで。

 気持ちが入っているとやはりよりよいものが撮れるというものなのでしょう、やはりサイト管理人の写真の方が極まっていると思っていた所、快諾いただけたので掲載。
 


2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部 撮影:とも

 思えば、私にとってはこれが餘部での「はまかぜ」撮影、最後の時でした。この日も桃観峠へ向かって、重々しい轟音を残して夜の山陰線を走っていきました。闇夜で照らされた、折り重なる橋脚と相まって非常に印象的でした。


この日は祭り [山陰]

 地元企画による、餘部鉄橋のライトアップの日でした。最終のはまかぜ5号まで撮影しました。


 早速、海側から、キハ47のローカルで露光。


2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部


 岩場まで暗い中降りていって、時間まで待ったのち、少しずつ鉄橋が照らし出されて浮き上がっていく・・・という光景を思い出します。

 もっとも、被写体は明るくても自分の方は真っ暗。当時使っていたカメラにバックライトなんて便利なものはついておらず、銀塩なので背面モニタなんてものは原理的にあり得ないですし、しかたなくライトで照らしながら撮影していたのを思い出します。



 ほんの数年前まで機材投資は極限まで切り詰めていて、当時は恥ずかしながらカメラ1台にレンズ2本。それなりに吟味はしていましたが、かなりの軽量装備でした。

 機材はそこそこに、旅費最優先で活動していました。その他の経費も「1列車1枚励行」を徹底して節約していたものです。

 今は・・・できるかなあ(汗)。ついつい数枚切ってしまいます。

夕暮れ時 [山陰]

 次の2本は太陽だけが雲の中に。全く日が射さない中通過して行きました。

 背後の山の頂上近くまで登るなんてわけにはいかないので妥協的に。北西斜面の通称「赤土」から。
 カニ臨とか国鉄色181が走っていた頃は時々登っていたのですが・・・。数年ぶりでした。

 登ってみるとびっくり、背後の赤土の斜面はジバチの巣だらけ。まあおちょくらなかったら大丈夫らしいんですが、青いハチが背後でブンブンやってるのでなんとも不気味・・・でした。そして、我慢した割に全てさいならーだったので。あああ。





 とぼとぼと降りてくると、もう日暮れです。太陽の方だけに雲があっても、沈んでしまったら関係ないです。見上げる空はやはり青いのです。当初の狙い通り、日が沈んだ後の2本はシルエット狙いをすることにしました。




 だんだんと暗くなっていきます。青が深まっていく時刻。少しの時間差で全く雰囲気が変わるので、極めようとすると非常に奥の深いテーマのようにも思います。まさに一期一会。






2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部


 今日もまた日が暮れていく・・・。なんともいえない気持ちが、今日もする。



夕刻の餘部  [山陰]

 諸寄から戻ってきて、狙いは「はまかぜ6号」。北西側の田んぼから狙いましたが、この時も手前の田んぼが陰りました。「ばばかぜ」だけに雲を呼んできたとしか思えません。


 交換でやってきたキハ47を撮りました。しっかり日が当ってきれい、です。






2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部


 ここは田んぼだけでなくこいのぼりがあがったりとかで変化のある場所だそうですが、私が撮影したのは2回だけかな・・・この年の3月末に菜の花と撮ってた覚えがあります。



海沿いのまちへ [山陰]

 1往復を林道俯瞰で撮った後、遊歩道ポイントへ移動。15-16時台に餘部鉄橋を通る列車が少ないことから、タラコのキハ47や33を撮るべく浜坂以西に転戦することが多かったようです。


 諸寄はかつての北前船の寄港地。長く日本の物流の大動脈の一端をなしていたそうですが、今は本当に静かな町です。



 海岸には砂浜が広がっていて、海水浴客も見られました。



 この空を見ると思い出すねえ、梅雨が明けると海開きで白砂青松の続く海岸を眺めつつ学校の水泳訓練が続く毎日だった・・・そんな話をふと、梅雨明けの空を見上げて母親がしていたのを思い出しました。私は海育ちではないので裏山のサワガニを取りに行ったりするイメージでしょうか。人それぞれ思い出深い、夏休みの始まる頃になってきました。





 諸寄のこの撮影地、定番の切り位置は駅付近なのですが、海沿いで道路工事が始まっており、ちょっと撮りづらい状態。定番位置で切れない・・・考えあぐねた末、奥のSカーブを狙いました。これはこれで、まあいいのかな?







2007年7月18日 山陰本線 諸寄-居組



諸寄林道 [山陰]

 諸寄-居組の間にある林道の撮影地へ移動。ここはかつてのRMに見開きで「出雲」が出たりしたので、かなりの有名地ですね。



 ふもとから延々と登って、少し広くなった所に(もちろん車で、です)。手前の直線だと日は当たらないものの、奥のカーブならかなり遠くですが夕方でもしっかり日が当たります。タテで切り込んで、右隅にタラちゃんを。折り重なる山並みとちらりと写る鋭い崖が何とも私の但馬海岸のイメージにマッチするものに。うむ、これはイケる。



 しばらくして、足元をキハ47が転がっていきました。よく見ると2両とも未更新!この時期の鳥取鉄道部では、キハ33とともに未更新ヨンナナが数を減らしつつもまだ健在でした。この時は2両そろいでラッキー!という感じでした。





2007年7月18日 山陰本線 諸寄-居組




 本当にバキバキにヌケが良かったわけではないので、ここまで来ると水平線はややぼんやりとでした。今は更新車しかないですが撮り直す価値ありかもしれません。

谷を跨ぐ [山陰]

 鉄橋を見上げる写真を撮ってすぐ山登りへ。御同行の方はスイスイと登って行かれますが、私は相変わらずペースが上がらず・・・。

 何とか中腹の伐採地までたどり着きました。当時の私の体力では、この程度が限界。もっと撮影地があったそうですが、無縁で終わりました(サイトのリンク先に「餘部鉄橋俯瞰の神」の御サイトがありますので、ご関心のある方はぜひ!)。



 さすがに工事が始まっているので鉄橋たもとには白い囲いがされていて、一部の土地が更地化されていますね。



 思えば中学の時にカニ応援の国鉄色ゴハチを追ってここまで来て以来、餘部を何度も訪れました。それだけにこういう光景を見ると最後が近づいているのだなあと・・・普通感慨深く思うところなんでしょうが、体中が疲労感いっぱい&列車までギリギリということでそんな感慨に浸る間もありませんでした。

 海沿いというイメージの強い餘部ですが、この斜面から見ると山岳線の壮大な鉄橋のように見えました。不思議な感じだなーと思ったのを思い出しました。



 半逆光になってきた光線が鉄橋と集落の屋根を鈍く輝かせていました。暑いけど、夏だなあ!辛いことは間違いないのですが、この暑さだからこそ頑張って撮った時に感じる感慨というものもここ数年は感じる所です。しかも歩きでやるのがまたいいんですよね!またどこか行きたいな・・・。



 キハ47のローカルでアングル調整。木の位置関係からどれくらい取り込むか悩んだ末、無難に押さえたと記憶しています。







2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部


 目立たない色をしていただけに、「はまかぜ」は風景的に撮るには向かない被写体でした。そのため引退前に集中的に撮ることはありませんでしたが、それでもキハ181はなんだかんだでよく撮りました。

 非電化区間での高出力車として作られただけに重々しい走りが強烈なインパクトを与えてくれる車両でした。やはり我々にとっては「名車」だったのでしょう。
 

まぶしい、まぶしい・・・ [山陰]

 梅雨明けするとまぶしい、まぶしい。空の透明度と日射の強烈さゆえでしょうか。今日はついに東海から近畿、中国四国と梅雨明けしたそうですね。




2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部


 この日の撮影は非常につらかったです。この数年前までは過酷な学校生活に加えて中2の時の大病が災いし、身長は今とさして変わらないぐらいだったのに体重が50kg強しかなかった私なので、元来決して丈夫な方ではありません。その上に天災のごとく降ってわいた20kgもの重りを背負っての撮影だったわけで、今から考えてもぞっとします。体力が落ちているので暑さにも決して強いとは言えず、本当に苦戦しました。


 さて、先ほどの撮影地でなぜメインが出て来ないんでしょうね・・・。あの列車だけ突然陰りました(泣)ので割愛しました。ということで次のコマです。

 折り返しの「はまかぜ4号」を向かい側の斜面で撮りたいので大急ぎで走って斜面に取りつこうと機材を持って走ったのですが、今よりはるかに軽装であったにもかかわらず、すぐ息切れ。かつての調子が出ないことに不満でした。
 自分の思うように撮り鉄するにもこれほど不便なのか・・・何とかしなければ。その時はそう思ったりしましたが、事態が終息を見るまで体重の増加は止まりませんでした。それでも、各地で決して本調子とはいえない中、回数は減らしつつも撮影をしていました。

 走れ、走れ・・・言うことを聞かない体に鞭打って、走りました。しかし、ピッチが上がらない。暑い。体中が痛い。そして、胸が詰まる。何度も何度も立ち止まって休んでは走りました。

 しかし、予定では山の中で見送るはずだったエーデル1本が不本意にも?鉄橋のたもとで撮れそうな時間になっていました。大急ぎでカメラに広角レンズをセット。左隅に軽くフレアを入れて、さらにこの空を大きく入れようではないか。きっと「この季節らしい」写真となるだろう・・・。



 手もちで構え、ピントを合わせて間もなく、列車が豪快に鉄橋を渡る音が聞こえてきました。この時ばかりは白い車体が浮き立ちいもむし君もどこか華麗に見え、そしてファインダーをのぞく私はあの空に吸い込まれそうな気持ちになりました。





 梅雨明けは鉄的には朗報。待ちに待ったシーズンの到来というところですね。私は忙しくて今年も出れるのか微妙ですが、皆さま豊作となりますように・・・。




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