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豊岡区のキハ47 [山陰]

 この前の記事読んだ方から「BMI30ってどんなに管理人さんタプンタプンだったんでしょうねー」とご質問が入ったので少し加筆しておきます。

 実は、見かけはあまり変わりませんでした。その代わり腹周りだけ膨らみ、よく調べてみると内臓脂肪ばかりついていました。ってその方が危険か・・・。

 この時の反省から、絶対太らないように、いやちゃんと体鍛えておこう、と気をつけるようになりました(汗)。さすがに数年で20kg増えたツケは重かったですが、おかげさまで?ただいま体脂肪率一桁です。健康は失ってみて初めて分かる・・・そんな英文を暗記させられた覚えがありますが、こんな経験するとなにか分かるような気が勝手ながらしてます。



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 餘部鉄橋を擁する山陰線豊岡-浜坂間の普通列車で運用されているのは豊岡区のキハ40・47。キハ40系列が日本で初めて投入されたのは山陰線の福知山運転所。その後山陰線京都口が電化されたことが関係して、当時山陰線に投入されたキハ47の初期車が豊岡区に多数転入しています。もっとも、初期車とその他の車両の差は、外見上の相違は正面スカートの形状ぐらいのようでそんなに大層な差ではないそうです。
(厳密に言うと、蒸気機関車の時代に和田山に機関支区をもつほど大きな機関区だった歴史を持つ豊岡鉄道部は、最近の車両区統廃合のため福知山電車区豊岡支所になってるとwikiに書いてありました。なんだかなあと思うのは私だけ?まあ車両表記が旧来通りキハが「福トカ」、釜が「豊」だそうですし、実質を考えてこのページでは旧来通り「豊岡区」としておきました。・・・あと、「福」は旧字体が正確!とか突っ込まないでくださいね)



 エーデルが行ったら、次はキハ47の2連。先ほどと同じ角度で2連を撮っても面白くないのでタテで構えてみました。手前の森のようになっている所は餘部の集落の神社なのですが、あまりそれっぽくわかるように撮れなかったかな・・・。

 2連がぴったり入るのは橋脚2本+α。そして少し海を入れて・・・大体目論見通りの写真になりました。

 原版を見る限り右側が一桁のように見えるので、初期車かなと思います。こんな写真でそんなこと言われても・・・でしょうが。





2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部




 通い始めた頃は未更新(屋根上に通風機あり、窓サッシ原型、大抵ボロボロで塗装パッチワーク)+更新(ピカピカだが、通風機無、窓サッシ変更などでイメージがかなり変わる)という編成が多かったですが、この頃には更新車ばかりになっていました。更新車でも色が退色しているのが増えてきて、ちょっと老けた?とか妙なことを考えていたのを思い出します。

 今の方がたぶんよっぽど老けてるんでしょうね・・・。当時はまだ年相応に扱ってもらってましたが、今はどこ行っても「30前後ですか?」ですから(汗)。親しい人に聞いてみるとあくまで雰囲気だから気にするなとは言われますが、どこにいってもこんな調子なのでやはり気になってしまいます。



 更新車ばかりになりましたが、豊岡区でも酉の末期色大作戦により徐々にタラコ1色が増えているそうです。餘部鉄橋は架け替えられこの辺りの1大撮影地の雰囲気が変わってしまいましたが、意外と他にも撮影地が豊富にあるだけにまだまだ撮りたいです。



 P.S.

 写真傾いてるように見えるかもしれませんが・・・写っている水平線やら電柱やらを確かめましたが傾いてないみたいなんです。それでも違和感ありますよね・・・。この辺りのことってホント難しいです。


梅雨明け、青い海、赤い鉄橋 [山陰]

 しばらくお休みしていた間もたくさんの方が来られていたようで・・・本当にありがとうございます。しばらく不定期&ペース低下かもしれませんが頑張って書いていきます。


 さて、もう7月ですね。撮り鉄としては梅雨明け時期が気になるところですがどうなるでしょう。

 また、当Blog管理人といたしましては月が変わったから今の書くネタに困る状況が少しばかり改善される?と期待したくなりました。しかし、実は大間違いだったことに気付き、青ざめています。
 アルバムひっくり返して見ると7月は6月以上に撮っていないんです。よく考えてみると中学高校の時は梅雨明けても大抵は宿題の片づけに追われ、大学入ったらまさにこの時期に試験ということで「鉄どころぢゃねえ!」わけです。だからこの10年見返して7月は明らかに出撃日数が少ないです。

 そういう訳なので先月と同様にテキトーに雑談交えつつ延ばし延ばしウダウダやっちゃうかもしれませんが、思いついたことをあれこれ書いてみますのでよろしくお願いいたします。


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 では、7月の初めくらいは数少ないストックから掘り出して記事書きたいと思います。



2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部


 ある意味「7月だから行きづらい」という制限のなかったこの年、年中行きづらいことこの上なかったけれど、この日は梅雨明けで晴れ!1か月前の芸備線ツアーは終日晴れ予報が夕方のみ晴れに変わってしまい少し悔しかったので気分良かったです。

 狙いは架け替え工事が始まったばかりの餘部鉄橋。赤い橋脚と青い海が心をいやしてくれよう・・・
 浪人生の時はどうしても体力面での損失を最低限にしないといけないということで、出発する時間も帰宅する時間も妥協的になっていました。まあこんなことだから受験中に激太りしてBMI30越えとかしたのかも。この日は確か10時ごろから入ったと記憶しています。


 まず一発目は西斜面からの撮影。この日は水平線くっきり、海の色も素晴らしい・・・という梅雨明けならではの日でした。被写体は増結6連のはまかぜをメインとして他2本。
 撮影地に着いたらすぐ、キハ65改のエーデルが発車して行きました。鉄橋の上で響き渡るエンジン音が印象的でした。
 よく見ると2-3両目の連結面からキハ65らしい「あの顔」がのぞいています。ぱっと見は「イモムシ」といった感じの何とも言えないデザインでしたが、こんなことからやはり国鉄型なんだなあと思ったものです。


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