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水鏡の季節 [○大糸線]

 4月と言えば、徐々に田んぼに水が入り始め、田植えに向けて目に見えて準備が始まる・・・というイメージです。

 田んぼに水が入ると、無風状態となれば空の表情が写り込みますし、位置を工夫すれば被写体も写り込みます。その様を、撮り鉄の間での用語かもしれませんが「水鏡」と表現します。例えば、こんな感じ。







2009年4月19日 大糸線 頸城大野駅


 大糸北線の各駅は豪雪地帯であることを考慮してか、今時のローカル線としては珍しいことに姫川駅を除く全ての駅に駅舎があります。その中には昔の駅舎がきれいに残っている所もあります。中でも写真に出しました頸城大野駅はペンキで塗装はしてあるものの木造で、渋かったです。この駅を題材にと、よく撮りに行きました。

 この駅は無人駅なのですが、地元の方々が丁寧に手入れしているようで、いつもきれいにしてありましたし、この日は花壇にチューリップが咲いておりました。こういう光景を見ると、そこに根付いている有形無形のものを感じ取ることができます。



 「水鏡」の風景が広がれば、地元の人自慢のコメの収穫まで、5か月ほどです。色彩豊かでフォトジェニックな季節の始まりでもあります。




 

北小谷の桜、続き [○大糸線]

 順光側からも撮りました。

 この時は前列に並ぶ撮り鉄な方々のカメラがみんなPentax67でびっくりしました。そんな方々の後ろから確か脚立にのぼって撮ったと記憶しています。



 中学の頃は山陰線のゴハチ撮りに行っても、北陸線で「しらさぎ」や「加越」撮りに行ってもみんな銀塩でした。
 当時は、デジはまだまだ発展途上と言われた時代でした。RMを見れば銀塩パワー全開な激V写真が並んで壮観でした。あまりに壮観過ぎて、中学生の私は思考停止になることの方が多かったかも・・・。でも、当時買ったRMは中学の時もかじりつくほど読んで研究していましたし、今でも宝物です。

 あの頃の激パな撮影地に登場するカメラと言えばCanonならEOS-1V、3、1NでNikonならF5など一桁機主体というイメージでしたが、そんな中で時々登場する6×7はひときわデカいカメラなので目を引いたものです。
 確か、当時はRMで中判の写真が大量に出た影響で猫も杓子も6×7という風潮があったという話を聞いた覚えがありますが、モードラ全開で撮っている人が多数という中で、直前に巻き上げ→バスンと一撃必撮というのは当時も見ていてカッコエエと思っていた覚えがあります。

 今どきは大量のデジの中で時々銀塩、という感じのことが多くなりましたので、この時の最前列の光景は、少し懐かしいというか、ある意味異様というか・・・そんな感じでした。こだわりの漢たち大集結ですから。





2009年4月19日 大糸線 北小谷-中土


 それにしても、やっぱりゴーニはいいなあ・・・。



春の使者 [○大糸線]

 4月も中旬-下旬となれば信州のローカル線にも春がやってきます。

 大糸線非電化区間のある姫川渓谷は、冬は1メートルを軽く超える積雪となるなど厳しい自然環境ながら、その分いい撮影地が多かったです。ある時は渓谷を這いつくばるように走り、またある時は信州らしい集落を横目に走り、時には輝く銀嶺を背にかけてきたり・・・。

 大糸線の非電化区間はそこまで長くはないのだけど、行けばいくほど本当に変化に富む風景が広がっていて、毎度行くたびに発見がありました。

 ある時は急行きたぐにの普通車自由席で夜を明かし、ある時は深夜に家を出て北陸道を走って、夜明け前後の糸魚川を目指しました。大阪から糸魚川までは400キロを超える距離です。



 この年の18日は土曜。午前中は例のごとく湖西線の課題をこなし、午後から富山に入ってT18北越などを迎撃。夜はサイトの管理人殿と打ち上げをやって富山県内で宿泊。翌日、大糸線入りしました。

 狙いは、少しピークを過ぎてはいましたが、沿線の発電所付近に植えられた桜の花とゴーニの組み合わせ。

 大糸線の沿線は雪が解けてそれほど間もなく、基本的には冬枯れの風景。少し遠くを見やればそれほど高くない山でも雪をかぶっていました。そんな沿線に咲く桜の花は本当に印象的でした。厳しい冬が終わったことへの喜びすら感じさせるものがありました。







2009年4月19日 大糸線 北小谷-中土



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