除福茶屋 [紀勢]
2010年4月3日 紀勢本線 新鹿-波田須
カウンターがないので、ご覧になってる皆さまは???な話ですが・・・
先ほど5000Hit達成いたしました!(管理画面にしかカウンター出ないんです、このBlog。あれこれやるのめんどくさいので機会あったらまたこうやって報告します。)
書いている本人としては、1カ月強で到達してしまったので非常に驚いております。
お知り合いの方の数だけでここまでいくとは思えませんので、毎日見も知らぬ多数の方々がご覧になってくださった結果だと思っております。本当にありがとうございます。
結果として、管理人が写真の再掲載など気にせず好きなことを好き放題書いているだけのBlogになってますが、こんなものでよければ今後とも御贔屓のほどよろしくお願いいたしますm(_)m。
写真は・・・少し気分を変えて除福茶屋から一服。
中国の秦代の始皇帝は自らの不老不死を願い、除福という人物に、東方海上にある三神山にいるという仙人のもとへ仙薬(不老不死の薬)を求めて渡海することを命令し、除福は「童男女三千人、五穀の種、百工」とともに向かったもののそのまま帰ってこなかったという話が史記にあります。この人物、最近実在する人物?という話がニュースにでていて、へーと思っておりましたが、中国のこの話と対応するように日本各地に除福がやってきて稲作文化を伝えたという伝説が残っております。
ここ波田須もそんな伝説の残る土地で、除福をまつる神社が建っています。それが写真左下にある神社です。
熊野古道が世界遺産になってからこの神社がこの場所から見えるようにそれまで神社の前を横断していた電線が少し隅に寄せられ、このようなカットが撮れるようになりました。熊野古道の伊勢路をほぼトレースするように走る、紀勢東線らしい撮影地だと思います。
さて、この場所、「除福茶屋」という熊野古道関係で出来た小さな売店のテラスです。お店で少しばかりお買い物をして「写真撮らせて下さい―」と一言断って写真撮りました。
夕方の激V光線を浴びて伊勢海老先頭の2088レが通過した後、キハ48の2連が登場。メインは貨物のはずなんですが、何となくこの方がおさまりがいいのでこちらを採用します。
神社の木はくすのきです。冬に葉が落ちないからとか、防虫効果があるから(楠の枝葉を蒸留して得られた固体が樟脳)、とかいう意味合いからだったと思いますが、くすのきは神社によく植えられております。この季節(普通4月末から5月上旬と言いますが、南国だから幾分早い?)には落葉するのでこのような黄色い色になります。桜ほどインパクトは強くないですが、これも「4月」ならではの光景です。
ハナビラ、マイチル [紀勢]
キハ40系列が5連以上の列車が走っている所と言うと、他に男鹿線、山陰本線鳥取―米子間、芸備線広島口、山口線山口-新山口と山陽線広島-新山口(回送)ぐらいだったと思いますが、東海の5連は見た目が西と違って国鉄チックなのがいい感じです。
2011.7/25追加…石北本線にも確か定期5連ありますね。他に美濃太田区の入出場回送とかも長かったような?まだまだあれこれありますね。
2010年4月3日 紀勢本線 栃原-川添
5連のスジは朝早い時間の列車なのもあってなかなか撮る機会がないですが、しっかり押さえたいと思っている列車です。
さて、この写真では残念ながらさっぱり分かりませんが、列車が駆け抜けるとき、サーと花びらが散りました。本当にきれいでした。
そういうのがうまく写るような写真、撮ってみたいです。
桜サク大内山谷 [紀勢]
今年はあっという間に桜満開→葉桜突入となってしまったので、今年は参戦すらできませんでした。去年押さえたのは伊勢海老カットのみ。翌日は原色釜だっただけに本当に惜しかったです。まあ、伊勢海老でもそれなりに見映えしますから地団太踏むほどではないんですが、気長に頑張ります。
2010年4月3日 紀勢本線 栃原‐川添
現地にはそこそこ早めに着いたものの、線路際は草ぼうぼうで当初はナンジャコリャな状態でした。
仕方ないので列車が来ない時間を見計らって2名で枯れ草の伐採作業を行うも、アングル構える時間考えると30分程度しか時間が確保できず、最低限の作業で終了。釜がぬけるぐらいは確保しました、という感じです。
次はもっと早く行こう、と思っております。
二木島の桜 [紀勢]
鉄な方はかなり少なく、ほとんどどこかでつながってる人ばかりのようです。非常にのんびりしています。
今季はチーム慕情記で考えると合計3回出動しました。今年の二木島は去年より満開になるのが遅かったですが、あっという間に葉桜、という感じになりつつあると聞いています。今年はどうも展開が早いようです。
写真は去年の二木島。この日は震災復興でただいま磐西に向かっている832号機先頭でご登場。832号機のさらなる活躍を祈りつつ、投下させていただきます。
2010年3月27日 紀勢本線 二木島‐新鹿
この数週間前までは大糸線で雪の中ツートンを撮っていたのですが、かたや二木島ではもうサクラ満開か、日本って本当に広い、と感慨にふけっておりました。
二木島をはじめ南紀の桜は日当たりの関係か、木によって咲き方が本当にマチマチでいくたびに課題ができます。何とかして全て原色で飾りたいもの・・・と思っていますがいつになることやら。
キロク・・・ [紀勢]
この3月の改正でくろしおは新宮まで入線しなくなり、白浜までの運転となりました。
これだけだと???な人も多いでしょう。
つまり、新宮まで入る381は今後スーパーくろしおだけになるので、新宮側が電気釜スタイルの381は定期では見れなくなったわけです。また、当然ですが紀伊田辺以南で「くろしお」のHMを見ることができなくなりました。
今から思うと、もう少し早くから各所で押さえておくべきだった…と後悔しきりです。
ということで、見老津の正面俯瞰にて、381くろしおです。
2007年3月18日 紀勢本線 双子山(信)‐見老津
撮り鉄の世界では先人からの言い伝えめいた言葉として「来た列車はとりあえず撮っておけ」という言葉があります。
これを曲解したのかしていないのか、一応撮っておけばいいや、とか、とりあえずパチ撮りして何か写っていればいい、とかいう発想で撮る方もいらっしゃるようですが、私はそのような発想にいまひとつ面白みを感じないので好きではありません。せっかく撮るなら、何か自分なりのこだわりが必要だと私は思います。私は、この言葉は「○○をとりあえず自分なりに気合いを入れて撮っておけば、10年なり20年なり経ってよかったと思うことがある」という意味だろうと考えています。
また関連して、○○の引退時に「もう少し撮っておきたかった」と後腐れしないように「興味の少しでもある被写体があるなら先手必勝、撮れるうちから撮っておけ」という言い方がされることもあります。
まあ、「くろしお」に関しては今のところ撮れなくなったアングルとして頭に浮かぶものがそこまで多くないことがまだ救いかもですが、これが後々どう響いてくるかわかりません・・・。
かつてはこうやって去っていった被写体がキハ58だったり、DD51だったり、EF58だったり、蒸機だったり、したんでしょうね。「来た列車は・・・」という言葉は、鉄の世界は所詮こういうことの繰り返しとみてもいいかもしれない、という先人からの忠告と言っていいものなのでしょう。
もっとも、愛すべき被写体のために撮り鉄として殉死する人がいるという話は結構聞きますから、そういう人には当てはまらない言葉ですね(しばらくして蘇った場合、後腐れの仕方は半端ではないみたいですが)。
奇岩連なる・・・ [紀勢]
先日に出した写真の続きでも。
あの後、これほどの晴れっぷりで南下しないなんてアホくさい、ということで予定外ながら見老津へ。南部から案外と遠かったです。
南に行けばいくほど山は明るい緑に包まれ、山桜は咲き・・・しかも暑いので冷房必要!3月とは思えませんでした。
そうして着いた見老津。定番地での撮影です。
明るい海の色、海岸線連なる奇岩を見ていると、南紀まで来た!という気分にさせられました。
この場所についた時には既に半逆光の時間でしたが、岩の立体感は強まったかなと。また、こんな時間帯でも水平線がはっきり見て取れるほど、この日の晴れっぷりはすごかったです。
2007年3月18日 紀勢本線 双子山(信)‐見老津
狙いの1つはもちろんこのオーシャンアローでしたが、ヘッポコ先頭が少し残念。
紀勢西線の113系 [紀勢]
3月の撮影はこの10年見渡すと
①試験の後キ○ガイ状態になって出かけまくっている
②引退前の追い込み
のどちらかであることがほとんどのようです。3月なら○○と狙って行っていることはかなり稀。
今日紹介します写真も恥ずかしながら①な時です。分かる人にはわかるでしょうが、なんとも微妙な時期に出かけております(汗)。
2007年3月18日 紀勢本線 南部‐岩代
この日は湖西線全く晴れの見込みなし、ということで思い切って紀勢西線へ出撃。朝から千里浜の展望台に行きました。
自宅周辺は冬の雲に覆われていましたが泉州に入れば既に青空。現地についてみればこりゃすごい、と言うしかないくらいヌケのいい晴れでひっくり返りそうになりました。3月とは思えませんでした。
さて、9時台には数少ない順向きで来る113系4連が来ますが、何で来るか気になったので出発前に運用をさらっと解析。すると、瀬戸内色と湘南色の混じりの可能性が高い、と。阪和色への差し替えを少し期待しましたが、予定通りきました。まあ、記録記録。
ということで混色編成の113系です。
瀬戸内色と湘南色、どちらもその色で統一されてるんならイイんですが、混じりはなあ・・・というのが当時の印象。まあ、瀬戸内色の本家である広島支社でもこれはまれな組み合わせらしいので、マニ屋的にはGreat!なんでしょうか。
さて今月のダイヤ改正、阪和線・紀勢西線を走る日根野区の113系が置き換え、という話が出ておりましたが、蓋を開けてみると113系の置き換えは最小限であったらしいです。それでも、次の10月改正の時がまた怪しいところですし、さらに例のブラシの話がありますからどうなることやら。
玉ノ浦をゆく客レ [紀勢]
5日の成果は後ほど「鉄路慕情記」でUpしたいと考えています。完成しましたら報告しますので、どうぞよろしくお願いいたします。
せっかくなので南紀ネタで記事書こう・・・と下書きしてたやつをUpします。間違えて先日、一瞬UPしてしまった記事なんですが、少し書き直したので気にせずUPします。すでに見ておられる方がいらっしゃるかもしれませんが、Blog初心者ゆえの大失態、ご勘弁を(汗)。
5日は古座~紀伊田原、紀伊浦神~下里で固め打ちでした。どちらも以前行ったことがありますが、今日は以前紀伊浦神~下里の玉ノ浦に行った時の写真を出します。
紀勢本線は新宮を境にJR東海とJR西日本に分かれているため、紀勢東線と紀勢西線に分けて語られることが多いですね。玉ノ浦は紀勢西線の方にあります。古くはEF58+12系の時代の写真を目にしますから昔からの名撮影地のようです。
玉ノ浦は何と言っても海の色が素晴らしいです。名前の由来はヒスイのような色からでしょうね。まさに、浅い部分はそんな色です。
そんな海がひときわきれいに見れるのは冬場だと思います。晴れる日が多いこともさることながら、海水温が低くて水中のプランクトンの活動が抑えられるので海の透明度がとても高くなることも大きいです。常緑の木々が多いこともポイント。「冬こそ紀勢線」かもしれません。
2009年2月8日 紀勢本線 紀伊浦神-下里 DD511043[宮]+あすか
かつては西線、東線ともDD牽引の団臨が多数運転されていました。直通運転も結構あり2004年のDJをひも解くと紀勢西線区間を夜行で走って紀伊長島あたりを目指す、という今では考えにくい団臨が走っていたりします(新宮夜行がなくなった後だったですし、高校生の分際では撮りに行くことすら不可能でしたが)。
そんな「紀勢団臨」でしたが、2009年ごろが事実上最後の活躍の時期だったようです。最近DJ誌の記載があったような気がしますが、1本だけ。それ以外に走ったという話すら聞きません。
この日の列車はたしかDJ誌には掲載されていなかったと思いますが、たまたま運転の情報をキャッチできたため、撮りに行きました。いつもは定期列車狙いが中心の私ですが、風光明媚な撮影地が点在する紀勢西線なら話は別です。
で、朝早くから玉ノ浦の俯瞰地に行ったのですが…団臨ですからこういう場合かならずベスト位置には置き三脚があるんですね。しかも、前の反省を踏まえて早く行ったのに、ありました。私は団臨をほとんど撮らないタチでそのあたりの因習に詳しくないので、本当にびっくりしました。
それでも何とかして隅に入れてもらって、海の撮り込める範囲はやや狭いもののアングルを固めました。この日は快晴で気分が良かったです。岩の上でうたたねしてしまいそうなくらいぽかぽかとしていました。
定時、特急やローカルよりもさらにゆったりとしたスピードで、DDにエスコートされた「あすか」がやってきました。